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アイドルを探せ! [MORE MUSIC!]

今月号の『レコード・コレクターズ』の特集、70年代の「日本の女性アイドル・ソング・ベスト100」を読みながらひどく驚いたのは、作曲家筒美京平の無敵ぶりだった。
ベスト10のうちなんと6曲(しかも4位を除いて1位から7位を独占!)、ジャック・ダイヤモンド名義で浅野ゆう子に提供した「セクシー・バス・ストップ」を含めて、100位以内に31曲がランクインしている。
ちょっと大げさにいえば、じつに70年代女性アイドルが歌っていた曲の1/3は筒美京平の歌だったわけだ。
いや、すんまそん、ちょっと飛躍しすぎですか?w
いつかBSの歌謡番組で演歌歌手の若い女性が、「わたしの好きな曲は、あれもこれも、みんな筒美先生の曲なんで、びっくりしたことがあります」と話していたが、今回のランキングはそれを実証したかたちだ。
(作曲家別の第2位は都倉俊一で12曲。)

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ぼくにとって70年代は、3年間が高校生、4年間が大学生、残りの3年が社会人という、意識が急速に子どもから大人へ移ってゆく時期だったので、正直いって、今回の特集のなかでほんとうに「わ、この子素敵だなぁ~」と感じていたのは麻丘めぐみと小林麻美の二人しかいない。
なので今回はレココレの特集からはちょっと離れるが、ぼくがリアルタイムに聴いてきた日本の、とくに女性シンガーとその作家たちについて、なんとなく思い出したことを書いてみたいと思う。

ぼくが子どものころから現在まで、リアルタイムに聴いてきた日本のポップス界を俯瞰して、真に偉大なソングライターだと感じるのは服部良一、浜口庫之助、筒美京平、阿久悠といったプロの作家たちであり、そのつぎに松任谷由実、大瀧詠一、桑田佳祐といったシンガー・ソングライター系の人たちがくる。

ぼくがメインサイトを『MUSIC & MOVIES』というタイトルにしたのにはそれなりの理由があって、音楽の楽しさを父から、映画のおもしろさを母から教えてもらったことに、おとなになって気づいたのだった。
父は旧制中学のころにベートーヴェンのレコードで音楽に目覚めたらしいが、敗戦で日本に引き上げてきてからはジャンルにこだわらずに音楽を聴いていた。
ヴァイオリンが好きで、パガニーニをよく聴いていたが、シャンソンやファド(ポルトガルの民族歌謡)のレコードがあったり、ロックやR&Bのレコードもあった。後年には浅川マキやよしだたくろうなどのレコードも買っていた。
ぼくが5歳になるぐらいまではTVがなかったので、ラジオから流れてくる音楽や、父が聴いているレコードをそばで耳にする程度だったが、父のレコードのなかではハリー・ベラフォンテの「さらばジャマイカ」と「日の当たる島」がとくに好きで、よく父(や父がいないときには母)にせがんでレコードをかけてもらっていた。

父のレコードから、ハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボートc/wさらばジャマイカ」(左)と
ビル・ヘイリーと彼のコメッツ「ロック・アラウンド・ザ・クロック」

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ザ・バーズのシングル盤とシュプリームスのコンパクト盤。

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そんななかで父が買ったレコードではないけれど、こころに残っている女性の曲というとまず…

①東京ブギウギ (笠置シヅ子-1947)
②銀座カンカン娘(高峰秀子-1949)

もともとマイナー調で暗い感じのする純日本風の歌は苦手で、メジャー・キーでリズムのはっきりした曲が好きだったので、服部良一が書いた「東京ブギウギ」と「銀座カンカン娘」は、もちろんぼくの生まれる前のヒット曲だが、ラジオでわりとよくかかっていたのだろう、いつのまにか覚えていた。
1907(明治40)年生まれの服部は、クラシックのオーケストラで音楽理論や作曲法、指揮法を学んだ本格派で、ジャズ・ピアニストとしての経験もあり、これらの曲が戦後の新しい日本を象徴する新しい音楽として人々の耳に響いただろうことは想像に難くない。
敗戦の重苦しさを「♪若く明るい歌声に 雪崩は消える 花も咲く」と吹き飛ばした「青い山脈」(奈良光枝・藤山一郎の競作-1949、作詞:西条八十)は、歌詞の力も大きく働いたような気がするけれど、「ブギウギ」「カンカン」の2曲は、やはりリズムと楽曲の新しさが大きなインパクトだったのではないかと思う。

ウィキペディアで調べてみると、美空ひばりや雪村いずみはもちろん、少年隊、TOKIO、ユニコーン、スタレビ、庄野真代、あやや、福山雅治、トータス松本(「東京ブギウギ」)、ダディ竹千代と東京おとぼけCATS、ドリカム、スタレビ、井上陽水、ゴスペラーズ、桑田佳祐(「銀座カンカン娘」)など、カヴァーしたミュージシャンも枚挙に暇がない。

③黄色いさくらんぼ(シンガーズ・スリー-1959)
少しまえに流行った曲としてではなく、新曲として聴いた当時のヒット曲で最初に記憶のなかから立ち上がる女性の歌というと、1959年にシンガーズ・スリーが歌った「黄色いさくらんぼ」だろう。
59年というと、ちょうど我が家にTVがやってきたころで、モノクロのちいさな画面のなかで3人の女の子が歌っている姿をぼんやりと覚えているが、繰り返される「うっふーん」というコーラスがコール・アンド・レスポンス的な効果をあげていて、リズミカルでキャッチーな曲調は子どもでも覚えられる印象的なものだった。
当時ぼくはまだ幼稚園にも上がっていなかったのでなんにもわからなかったのだが、ゴールデン・ハーフがカヴァーした70年には高校生になっていたので、あらためてその歌詞を知ったときにはちょっと引いてしまった。
もう父も母も亡くなってしまったので確認のしようもないが、もし幼稚園児になったぼくが
♪若い娘は うっふーん
 お色気ありそで うっふーん
 なさそで うっふーん
 ありそで うっふーん
 ほらほーら黄色いさくらんぼ
などと歌っていたら、これは完全に「くれよんしんちゃん状態」である。
厳格だった母方の祖父などのまえで歌ったりしようものなら、かるく2、3日は押入れのなかに監禁されていただろう。
祖父といっしょに暮らしていなくてほんとうによかった。
(ちなみに祖父は戦後疎開で熊本に越してくる前は警視庁に勤めていた-汗)

作詞は歌謡曲界の大御所星野哲郎。
北島三郎や水前寺清子、都はるみ、瀬川瑛子といった演歌歌手の代表作を多く書いた星野だが、この曲には戦後の高度成長期に向う日本の明るく開放的な気分がよく表れている。
作曲はもとジャズ・ギタリストの浜口庫之助で、進駐軍相手に演奏したり、ハワイアン・バンドに在籍したりしただけあって、純国産の歌謡曲とはまったくテイストの異なるポップなセンスが横溢している。

TVがやってくると歌番組も見るようになり、最初のお気に入りは土曜日の夜にNHKで放送されていた「夢であいましょう」(通称 ゆめあい)だった。
MCを務めた中嶋弘子さんは(なぜか彼女だけ「さん」づけ-笑)、上品な色気のある女性で、ひょっとすると彼女がぼくの最初のアイドルだったのかもしれない。
坂本九、田辺靖雄、九重祐三子、デューク・エイセス、ジェリー藤尾、梓みちよといった人たちがレギュラーで、番組内では永六輔が作詞し、中村八大が作曲したオリジナルのほかに、外国曲に日本語の訳詩をつけた歌もたくさん歌われた。
「電話でキッス」(オリジナルはポール・アンカ-1960)とか「ヘイ・ポーラ」(オリジナルはポールとポーラ-1963)なんかは今でもよく覚えている。
中村八大は、ジャズ・ファンならよく知っている「ビッグ・フォア」のメンバー(松本英彦:テナー・サックス、中村八大:ピアノ、小野満:ベース、ジョージ川口:ドラムス)で、水原弘に提供した「黒い花びら」(1959)が第1回日本レコード大賞を受賞したほか、坂本九の「上を向いて歩こう」(1961)、「明日があるさ」(1963)、「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ‐1963)など、数々のヒットを飛ばしている。

ほかに、このころ印象に残っている女性シンガーの曲というと、森山加代子の「月影のナポリ」(1960)、西田佐知子の「コーヒー・ルンバ」(1961)、弘田三枝子「ヴァケーション」(1962)など、多くは外国曲の日本語カヴァーだった。

④恋のバカンス(ザ・ピーナッツ-1963)
中村八大とほぼ同時期、同じようにジャズ・ピアニストから転進した作曲家に宮川泰がいる。
歌詞の意味がなんとなくわかるようになっていたぼくが、いちばん最初に衝撃を受けた女性の歌がザ・ピーナッツの「恋のバカンス」なのだが、この曲の作者が宮川泰だ。
「♪金色にかがやく 熱い砂のうえで 裸で恋をしよう 人魚のように」という岩谷時子の手になる詞は、小学校3年生だったぼくには強烈すぎて意味もわからず身もだえしたものだったが(笑)、松本英彦やベースの渡辺晋(ナベプロの創業者)らとともにジャズ・ピアニスト、アレンジャーとして活躍した宮川の楽曲は強烈なスウィング感をもち、伊藤エミ・ユミのハーモニーもバックの生バンドの演奏もジャズ・テイストあふれるものだった。
ザ・ピーナッツの二人は1961年の『モスラ』でインファント島からやってきた小美人を演じて子どもたちのアイドルになっていたから、この「オトナ路線への転進」?は衝撃だったにちがいない。

こうして60年代前半はジャズ畑出身の作曲家によるヒット曲がたくさん生まれるのだが、65年にはシンガー・ソングライターの先駆けともいえる加山雄三の「きみといつまでも」が大ヒット、66年にはマイク真木が歌った「バラが咲いた」がフォークソング・ブームの先駆けとなり、同年スパイダースの「夕陽が泣いている」、67年ブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」、68年タイガース「花の首飾り」によってGSブームが頂点に達する。
もちろん北島三郎、都はるみ、水前寺清子、森進一といった演歌畑の人たちのビッグ・ヒットもつぎつぎに生まれてくるのだが、欧米のリズムとコード進行をもった、いわゆる和製ポップスが全盛を迎えるのがこのころといっていいだろう。
ちなみに「バラが咲いた」と「夕陽が泣いている」も浜口庫之助の作品であった。

⑤恋の季節(ピンキーとキラーズ-1968)
そしてぼくにとってレコードを買った最初で最後のアイドルが、ピンキーとキラーズのピンキーだ。
デビュー曲「恋の季節」は68年から69年にかけてトータル270万枚を売り上げた大ヒット・シングル。
68年の売上げは121万枚で年間オリコン・チャート第3位、69年も86万枚を売上げて第4位に入っている。
ちなみに、当時話題になった「♪夜明けのコーヒー ふたりで飲もうと あの人が云った」という歌詞も「恋のバカンス」とおなじ岩谷時子によるものである。
作曲はいずみ・たく。
芥川也寸志の教えを受け、三木鶏郎のトリローグループにも属した売れっ子作曲家で、ウィキペディアによると総作曲数は15,000曲!にものぼるという。

ピンキーのどこに惹かれたのか、いまとなってはよくわからないところもあるのだが(笑)、とにかく歌がうまく、デビュー・アルバムでは(オリジナルがまだ少なかったということもあって)「青いカナリヤ」などの欧米のポピュラー・ソングを魅力的に歌いこなしているところも素敵だった。

これがぼくが買ったゆいいつのアイドルのシングル「恋人の讃歌」。
(「恋の季節」はアルバムでもっていた)

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父のシングル盤を探していて偶然出てきた、「へえ~、こんなの買ってたんだ」的1枚。
作詞:山上道夫、作・編曲:渋谷毅で、69年11月22日の日付を書き込んでいる。
定価370円。

それで思い出したのだが、タイガースの次にライヴを見に行ったミュージシャンがピンキラだった。
懐かしいなあ~(爆。
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路傍の石

拙は自分の10代がほぼ70年代に重なる時代を過ごしてきたので、レココレ特集のアイドルたちには大きな影響を受けました。拙よりも年上でいらっしゃる遼さんとは違って、洋楽にのめり込む前にアイドルの洗礼を受けたことも大きかったと思います。

そんな拙にとって最初のアイドルというべき存在は、小学1年のときにデビューしたピンキーとキラーズのピンキーこと今陽子でした。歌詞の意味も知らずに口ずさんでいた「恋の季節」のアフタービートの衝撃は、それがそのままその後の音楽の嗜好に直結するものだったことを思えば、このときの音楽体験はとても貴重なものだったわけです。ちなみにそのちょっと前にザ・ピーナッツを知りましたが、幼い自分にとっては遥か年上の大人の女性による大人の音楽という感じで隔たりを感じていました。ピンキーも自分よりはちょうど10歳くらい年上でしたけど、もっと身近なお姉ちゃんという感じの親しみやすさがあったんですね。
by 路傍の石 (2014-09-06 05:50) 

MASA

「バナナ・ボート」と「ロック・アラウンド・ザ・クロック」のシングル、今なら中古屋でけっこうな値段が付いていそうですね。
お父様の趣味の広さとセンスの良さ、素晴らしいと思います。

ワタシは遼さんより1コだけ年下の同世代なので、挙げられている女性歌手の曲はワタシもそれなりに思い出に残っています。
「黄色いさくらんぼ」がヒットしていた頃は5〜6才でしたが、子供心に何となくいかがわしさを感じたのを覚えていますね(笑)。

ピンキラはワタシも大好きでした。「七色のしあわせ」と「土曜日はいちばん」の2枚はシングル持ってますが、肝心の「恋の季節」が未だにゲット出来ずにいます。
でも今陽子はあんまりタイプじゃなかったなあ(笑)。

ワタシが初めてハマッたと言えるアイドルは大学生の頃に大人気だったアグネス・ラムで、歌手じゃありませんでした〜(笑)。
のちに「雨上がりのダウンタウン」なんていう無理矢理歌わされて出したシングルもありましたが、あまりに歌がド下手でひっくり返りました(笑)。
by MASA (2014-09-06 19:04) 

parlophone

路傍さん、こんばんはー。

>洋楽にのめり込む前にアイドルの洗礼を受けたことも大きかったと思います

そうか、そうですよねー。
ぼくは戦争も戦直後の悲惨さも経験してないし、ビートルズ世代として生まれてラッキーだったと思っていましたが、70年代女性アイドルという、ある意味日本のポピュラー・ミュージックのいちばんフレッシュでおいしいところとすれ違っていた、ということにいま気づきました。
う~ん、ちょっとクヤシイ(笑。

>最初のアイドルというべき存在は、小学1年のときにデビューしたピンキーとキラーズの
>ピンキーこと今陽子でした

おお、そうだったんですか!
いやあそれはうれしいなあ。

たしかにザ・ピーナッツの二人はスターであって、アイドルという感じではありませんでした。
ピンキーはぼくより4つぐらい年上だと思いますが、ほんとに同じ学校の上級生みたいな親しみやすさがありましたね。
by parlophone (2014-09-06 21:02) 

parlophone

MASAさん、どうもです。

>「黄色いさくらんぼ」がヒットしていた頃は5〜6才でしたが、子供心に何となくいかがわしさを感じた
>のを覚えていますね(笑)

ええっ!? そうですか。
いやあMASAさん、すごいなあ。
ぼくはまったくそういう記憶はないですねー。
自分ではけっこうませガキだと思ってたんですけどねー(笑。

>ピンキラはワタシも大好きでした

おお、MASAさんもですか!
やっぱり当時はみんなピンキラが好きだったんですね。

>「七色のしあわせ」と「土曜日はいちばん」の2枚はシングル持ってます

あ、いいなあ。
ぼくは自分のチョイス(恋人の讃歌)がよくわかりません(爆。

>大学生の頃に大人気だったアグネス・ラム

いましたねー。
たしか『GORO』とかのグラビアで、その眩しい水着姿をよく見たような気がします。

>あまりに歌がド下手でひっくり返りました(笑)

歌手デビューしていたとは知りませんでした。
もしシングルをお持ちであればプレミアがついてるかもしれませんね!
by parlophone (2014-09-06 21:11) 

やまちゃん

私は70年代ってと初めて買ったレコードが麻丘めぐみのベスト盤でピンアップ付きで壁に貼ってしゅっちゅう見てました
ザ・ピーナッツはシャボン玉ホリデーと映画「ゴジラ対モスラ」くらいしか印象になく、ピンキラの「恋の季節」は天才バカボンのギャグに使われるくらいブームでしたね
黄色いサクランボはエバがいたゴールデンハーフで知ったくらいです(笑)
私にとっては初めてのセクシーソングでしたね
昔、シューピリームスやダイアナロスのベスト盤はよくレンタル屋で借りて聞いてました
ハリーベラフォンテの「at carnegie hall」は当然、バナナボートの熱唱も素晴らしかった。けど日本盤のCDはどうやら入手困難なようで(^^`)

私はチャートマニアで英米日のチャートがけっこう詳しくて、オリコン1位の作品や40年代以降の名作もチャート記録を見て買ったものがあります
恋の季節もマキシシングルが売ってますが、いまだ買ってない(^^`)
唯一買ったのがタワレコ限定の由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」だけ
所有してる青江三奈「池袋の夜・青江三奈のすべて」はオリコンLPチャートでかなりの1位記録に。これCD化してほしいんだが」
http://www.hifido.co.jp/KW%A5%B3%A1%BC%A5%C6/G1/J/60-10/C12-64977-36916-60/
ロックアラウンドザクロックやビングクロスビーのホワイトクリスマスのCDもあり、チャート記録で買ったようなもんです。でも永遠の名作ですね
by やまちゃん (2014-09-06 22:29) 

parlophone

やまちゃんさん、こんばんは~。
レスが遅くなって申し訳ありません。

>初めて買ったレコードが麻丘めぐみのベスト盤でピンアップ付きで壁に貼ってしゅっちゅう見てました

お、やまちゃんさんも麻丘めぐみお好きだったんですね。
ぼくは『明星』だか『平凡』だか忘れましたが、オフの日にすっぴんでメガネかけてるショットが(もちろん演出なのかもしれませんが)、もうほんとにそのへんにいる女の子っぽくて、それを見ていっぺんに好きになってしまいました。

>ピンキラの「恋の季節」は天才バカボンのギャグに使われるくらいブームでしたね

へえ、そうなんですか。
そのギャグ、知りませんねえ。

>黄色いサクランボはエバがいたゴールデンハーフで知ったくらいです(笑)

ゴールデンハーフってどうだったんですか?
ぼくは大学時代はまるまるTVのない生活だったので、たまに友人の下宿で見せてもらうくらいで、ほとんど知らないんですよね、そのころのアイドルって。

>青江三奈「池袋の夜・青江三奈のすべて」はオリコンLPチャートでかなりの1位記録に

すごい守備範囲が広いですね~。
青江三奈は「恍惚のブルース」ぐらいしか知りませんが、声質がヘレン・メリルにそっくりだったので、最初はジャズ・シンガーを目指していた、と聞いたことがあります。
歌はバツグンにうまいひとでしたから、彼女の唄うジャズも聴いてみたかったですね。

>ビングクロスビーのホワイトクリスマス

父のシングル盤はシナトラです。
もちろんビング・クロスビーのほうがオリジナルですが、シナトラのヴァージョンも全米4位ぐらいになってますよね。
映画のほうも年末にTVでやってるとつい見てしまいます。
ローズマリー・クルーニーが出てるところもうれしいですね。
by parlophone (2014-09-08 20:00) 

やまちゃん

けっこういろんな発見が聞けました

>ゴールデンハーフってどうだったんですか?
どうだったと言われても、まあハーフな3人組といった感じで
エバはけっこう人気者でしたし、マリアは後に森マリアの名前でGメン75に出てたくらいで特別な存在ではありませんでした

>父のシングル盤はシナトラです。
そっちのホワイトクリスマスは知りませんでした。
ちなみにクロスビーのはMerry ChristmasのCD収録と実は日本盤のEPも持ってるんです。B面がたしかジングルベル
http://www.45cat.com/record/ds70jp
これはCDがあってもEPでも揃えたいくらいの名曲ですね

映画といえばウエストサイド物語のサントラCD持ってますが、これもチャート記録が凄い。当時はモノチャートとステレオチャートがあって、作品も何回聴いても飽きない名作ですな

青江三奈の池袋の夜はオリコンLPチャートで1週のみ1位でした。そんなに凄くなかったですね。すいません。最近チャート本もあまり見てないもので
たまに勘違いがあって・・・
by やまちゃん (2014-09-08 20:42) 

parlophone

やまちゃんさん、こんばんは~。

>どうだったと言われても、まあハーフな3人組といった感じで

そうですよね(笑。
たいへん失礼いたしました。

>これはCDがあってもEPでも揃えたいくらいの名曲ですね

そうですか!
じゃあぼくもぜひチャンスがあったら手に入れたいと思います!!

>映画といえばウエストサイド物語のサントラCD持ってますが、これもチャート記録が凄い
>何回聴いても飽きない名作ですな

『ウエストサイド』は映画じたいはあんまり何度も見返したくなるほどじゃないんですが、音楽は素晴らしいですね。
レナード・バーンスタインの才能が100%発揮されたすばらしい作品だと思います。

>たまに勘違いがあって・・・

いえいえ、ぼくなんかブログで何回も間違いを書いてそのたびに謝ってますから(汗。
by parlophone (2014-09-09 21:08) 

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