「長い夜」のころ(シカゴのアルバム―― part2) [紙ジャケ]
前回の記事が思い出話でけっこう盛り上がったので、今回もシカゴのアルバムの話はおまけ程度で(笑)、ちょっとあのころのことを書き留めておきたいと思います。
60年代の終わりから70年代の初めごろというのは深夜放送の全盛期だった。
ぼくが初めて深夜放送を聴いたのは、理科の宿題で生まれて初めて"徹夜"をした中学生のときだった。
夕方6時から翌朝6時までの外気温の変化を1時間ごとに測定して折れ線グラフを作れ、という課題が冬休みの宿題として出て、しばらくは妹もおもしろがってつき合ってくれていたが、やがて家族もみんな寝てしまった深夜、トランジスタ・ラジオから流れる音楽を聴きながら、1時間ごとに庭に出て気温を測ったのを覚えている。
そのころちょうどタイガースの「君だけに愛を」がヒットしていたから1968年のお正月のことだと思う。
それからしばらくして友だちが「オールナイトニッポン」がおもしろいよ、と教えてくれて、毎晩夜の1時になるとラジオのスイッチを入れるようになった。
そのころのパーソナリティ(オールナイトニッポンではDJのことをそう呼んでいた)は
月曜 糸居五郎
火曜 斉藤安弘
水曜 高岡寮一郎
木曜 今仁哲夫
金曜 常木建男
土曜 高崎一郎
というもので、常木建男はしばらくすると梶幹雄に交代、さらに木曜日の哲っちゃん(今仁哲夫)は高島秀武に代わり、その後梶幹雄の代わりに哲っちゃんが復帰、土曜日の高崎一郎に代わってカメちゃん(亀淵昭信)が登場するようになった。
ニッポン放送のサイトで調べてみると、ぼくが熱心に聴いていたのは1968年半ばごろから70年にかけて、ということになる。
さて、このころのパーソナリティはすべてニッポン放送のアナウンサーかプロデューサーで、伝説のジョッキーだった糸居五郎さんはもちろんのこと、高崎一郎の名前はすでにレコードの解説で見かけていたし、みんなが音楽的な知識と教養をもっていた。
ぼくが初めて全国区の番組でハガキを読んでもらってリクエストに答えてもらったのもこの番組(パーソナリティはアンコウさんで、かけてもらったのはグレープフルーツの「エレベーター」)だったし、以前ピクシーズ・スリーのコメント欄でMASAさんに教えていただいたように、カメちゃんはレスリー・ゴーアの「涙のバースデイ・パーティ(It's My Party)」を哲っちゃんの誕生日の替え歌にして番組で流したり、とにかく楽しい番組だった。
さて、ここからが本題(笑。
たぶん高島秀武だったと思うのだが、かれはビルボードあたりのヒット曲をいち早く紹介してくれて、さらに曲の邦題を考えたりしていた。
「雨に消えた初恋」のヒットで知られるカウシルズに「牛も知ってるカウシルズ」というキャッチ・コピーをつけたのは大橋巨泉だが、このころは邦題がすごく重要で、邦題で曲のイメージが決まってしまうところがあった。
この曲も「The Rain, The Park, and Other Things」というタイトルではここまでヒットしなかったのではないだろうか。
ふつう邦題を考えるのはレコード会社の洋楽部門のディレクターあたりじゃないかと思うんだけど、高島は「ぼくがもしタイトルをつけるなら」といいながらシカゴの「25 or 6 to 4」に「長い夜」というタイトルをつけたのだった。
いまCDについている歌詞の対訳を見ると「午前4時の25もしくは26分前」となっているが、そのとき高島は時刻で「前」を意味する「to」を「from~to~」の「to」ととって、「このタイトルは、深夜25時か26時から午前4時まで、あー、ずいぶん長い夜ですね~」みたいなことを言ったのだった。
ずいぶん記憶があいまいになっているので、ひょっとしたら高島秀武ではなかったかもしれないけれど(笑)、このエピソードははっきり覚えている。
この曲は70年11月30日付のオリコン・チャートで最高16位を記録し、「サタデイ・イン・ザ・パーク」と並んで初期のシカゴを代表する曲となった。
ちなみにこのときのBest 20 Hitsは以下のとおり。
01 京都の恋/渚ゆう子
02 男の世界/ジェリー・ウォレス
03 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー
04 走れコータロー/ソルティ・シュガー
05 愛のきずな/安倍律子
06 おんな占い/南有二とフルセイルズ
07 女は恋に生きてゆく/藤圭子
08 ふたりの関係/ヒデとロザンナ
09 銀座の女/森進一
10 愛のいたずら/内山田洋とクールファイブ
11 誰かさんと誰かさん/ドリフターズ
12 悲しみの兵士/シルヴィ・バルタン
13 霧の中の二人/マッシュマッカーン
14 サークル・ゲーム/パフィー・セントメリー
15 大勝負/水前寺清子
16 長い夜/シカゴ
17 何があなたをそうさせた/いしだあゆみ
18 男と女の数え唄/日吉ミミ
19 レット・イット・ビー/ビートルズ
20 夜明けのヒッチハイク/ヴァニティ・フェア
ヴェンチャーズが書いた「京都の恋」を含めると20曲中9曲が洋楽という、信じられない時代でしたねー^^
邦楽のなかには知らない曲も混じっているが、洋楽は全部知ってるなあ。
ビートルズの「レット・イット・ビー」がチャート・インしてることにびっくりされる方もいるかもしれないが、このときすでにチャート35週めで、これ以降も翌71年の2月22日までほぼ3か月間ベスト20にとどまっている。
さてシカゴの2ndアルバム『Chicago シカゴと23の誓い』(通称Chicago Ⅱ)は1970年8月のリリース。
全米4位、全英6位を記録し、シングルも「長い夜」の全米4位を筆頭に、「ぼくらの世界をバラ色に」(同7位)、「ぼくらに微笑みを」(同9位)と3曲がトップ10ヒットを記録している。
全23曲のうちロバート・ラム7曲、テリー・キャス7曲、ジェイムズ・パンコウ8曲(共作を含む)と、パンコウの比率が高まっていて、とくに「Ballet for a Girl from Buccanon」という7曲からなる組曲は39分に及ぶ大作であり、そのなかに上述の「ぼくらの世界~」、「ぼくらに微笑み~」も含まれている。
ピーター・セテラもアルバムの最後に1曲、曲を提供している。
紙ジャケはA式のゲイトフォールド・ジャケット。
『Ⅰ』は木製のキャンバスに"Chicago Transit Authority"のロゴを描いたものだったが、『Ⅱ』はバンド名もシンプルに"Chicago"となり、そのロゴが冷たいメタルを思わせる寒色系の背景に描かれている。
(バック・カヴァーもおなじデザイン)
こちらにも収録曲とヒット・シングルを記載した2種類のステッカーがミニチュアで復刻されたほか、当時のCBSソニーの帯(キャップ)も復刻されている。
インナーバッグはカンパニー・スリーヴが使用できないため白になっているが、たいへん深みのある色合いで印刷されたポスターがミニチュアで復刻されている。
スリーヴの内側とポスターを広げたところ。
ボーナス・トラックとして「ぼくらに微笑みを」と「長い夜」のシングル・ヴァージョンが収録されている。
60年代の終わりから70年代の初めごろというのは深夜放送の全盛期だった。
ぼくが初めて深夜放送を聴いたのは、理科の宿題で生まれて初めて"徹夜"をした中学生のときだった。
夕方6時から翌朝6時までの外気温の変化を1時間ごとに測定して折れ線グラフを作れ、という課題が冬休みの宿題として出て、しばらくは妹もおもしろがってつき合ってくれていたが、やがて家族もみんな寝てしまった深夜、トランジスタ・ラジオから流れる音楽を聴きながら、1時間ごとに庭に出て気温を測ったのを覚えている。
そのころちょうどタイガースの「君だけに愛を」がヒットしていたから1968年のお正月のことだと思う。
それからしばらくして友だちが「オールナイトニッポン」がおもしろいよ、と教えてくれて、毎晩夜の1時になるとラジオのスイッチを入れるようになった。
そのころのパーソナリティ(オールナイトニッポンではDJのことをそう呼んでいた)は
月曜 糸居五郎
火曜 斉藤安弘
水曜 高岡寮一郎
木曜 今仁哲夫
金曜 常木建男
土曜 高崎一郎
というもので、常木建男はしばらくすると梶幹雄に交代、さらに木曜日の哲っちゃん(今仁哲夫)は高島秀武に代わり、その後梶幹雄の代わりに哲っちゃんが復帰、土曜日の高崎一郎に代わってカメちゃん(亀淵昭信)が登場するようになった。
ニッポン放送のサイトで調べてみると、ぼくが熱心に聴いていたのは1968年半ばごろから70年にかけて、ということになる。
さて、このころのパーソナリティはすべてニッポン放送のアナウンサーかプロデューサーで、伝説のジョッキーだった糸居五郎さんはもちろんのこと、高崎一郎の名前はすでにレコードの解説で見かけていたし、みんなが音楽的な知識と教養をもっていた。
ぼくが初めて全国区の番組でハガキを読んでもらってリクエストに答えてもらったのもこの番組(パーソナリティはアンコウさんで、かけてもらったのはグレープフルーツの「エレベーター」)だったし、以前ピクシーズ・スリーのコメント欄でMASAさんに教えていただいたように、カメちゃんはレスリー・ゴーアの「涙のバースデイ・パーティ(It's My Party)」を哲っちゃんの誕生日の替え歌にして番組で流したり、とにかく楽しい番組だった。
さて、ここからが本題(笑。
たぶん高島秀武だったと思うのだが、かれはビルボードあたりのヒット曲をいち早く紹介してくれて、さらに曲の邦題を考えたりしていた。
「雨に消えた初恋」のヒットで知られるカウシルズに「牛も知ってるカウシルズ」というキャッチ・コピーをつけたのは大橋巨泉だが、このころは邦題がすごく重要で、邦題で曲のイメージが決まってしまうところがあった。
この曲も「The Rain, The Park, and Other Things」というタイトルではここまでヒットしなかったのではないだろうか。
ふつう邦題を考えるのはレコード会社の洋楽部門のディレクターあたりじゃないかと思うんだけど、高島は「ぼくがもしタイトルをつけるなら」といいながらシカゴの「25 or 6 to 4」に「長い夜」というタイトルをつけたのだった。
いまCDについている歌詞の対訳を見ると「午前4時の25もしくは26分前」となっているが、そのとき高島は時刻で「前」を意味する「to」を「from~to~」の「to」ととって、「このタイトルは、深夜25時か26時から午前4時まで、あー、ずいぶん長い夜ですね~」みたいなことを言ったのだった。
ずいぶん記憶があいまいになっているので、ひょっとしたら高島秀武ではなかったかもしれないけれど(笑)、このエピソードははっきり覚えている。
この曲は70年11月30日付のオリコン・チャートで最高16位を記録し、「サタデイ・イン・ザ・パーク」と並んで初期のシカゴを代表する曲となった。
ちなみにこのときのBest 20 Hitsは以下のとおり。
01 京都の恋/渚ゆう子
02 男の世界/ジェリー・ウォレス
03 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー
04 走れコータロー/ソルティ・シュガー
05 愛のきずな/安倍律子
06 おんな占い/南有二とフルセイルズ
07 女は恋に生きてゆく/藤圭子
08 ふたりの関係/ヒデとロザンナ
09 銀座の女/森進一
10 愛のいたずら/内山田洋とクールファイブ
11 誰かさんと誰かさん/ドリフターズ
12 悲しみの兵士/シルヴィ・バルタン
13 霧の中の二人/マッシュマッカーン
14 サークル・ゲーム/パフィー・セントメリー
15 大勝負/水前寺清子
16 長い夜/シカゴ
17 何があなたをそうさせた/いしだあゆみ
18 男と女の数え唄/日吉ミミ
19 レット・イット・ビー/ビートルズ
20 夜明けのヒッチハイク/ヴァニティ・フェア
ヴェンチャーズが書いた「京都の恋」を含めると20曲中9曲が洋楽という、信じられない時代でしたねー^^
邦楽のなかには知らない曲も混じっているが、洋楽は全部知ってるなあ。
ビートルズの「レット・イット・ビー」がチャート・インしてることにびっくりされる方もいるかもしれないが、このときすでにチャート35週めで、これ以降も翌71年の2月22日までほぼ3か月間ベスト20にとどまっている。
さてシカゴの2ndアルバム『Chicago シカゴと23の誓い』(通称Chicago Ⅱ)は1970年8月のリリース。
全米4位、全英6位を記録し、シングルも「長い夜」の全米4位を筆頭に、「ぼくらの世界をバラ色に」(同7位)、「ぼくらに微笑みを」(同9位)と3曲がトップ10ヒットを記録している。
全23曲のうちロバート・ラム7曲、テリー・キャス7曲、ジェイムズ・パンコウ8曲(共作を含む)と、パンコウの比率が高まっていて、とくに「Ballet for a Girl from Buccanon」という7曲からなる組曲は39分に及ぶ大作であり、そのなかに上述の「ぼくらの世界~」、「ぼくらに微笑み~」も含まれている。
ピーター・セテラもアルバムの最後に1曲、曲を提供している。
紙ジャケはA式のゲイトフォールド・ジャケット。
『Ⅰ』は木製のキャンバスに"Chicago Transit Authority"のロゴを描いたものだったが、『Ⅱ』はバンド名もシンプルに"Chicago"となり、そのロゴが冷たいメタルを思わせる寒色系の背景に描かれている。
(バック・カヴァーもおなじデザイン)
こちらにも収録曲とヒット・シングルを記載した2種類のステッカーがミニチュアで復刻されたほか、当時のCBSソニーの帯(キャップ)も復刻されている。
インナーバッグはカンパニー・スリーヴが使用できないため白になっているが、たいへん深みのある色合いで印刷されたポスターがミニチュアで復刻されている。
スリーヴの内側とポスターを広げたところ。
ボーナス・トラックとして「ぼくらに微笑みを」と「長い夜」のシングル・ヴァージョンが収録されている。
僕の大好きな時代です。バニティ フェアはLPを探しました。今はCDも持ってますが・・・。シカゴ 揃えようかなーと思ってます。やっぱりいい音で聴きたいものですから。
グレープ フルーツ・・・実はメンバーのピータースエットナムは日本人と結婚していまして、それが私の友人の姉なんです。友人から「グレープ フルーツって知ってる?」と声をかけられて、「もちろん。ビートルズ フリークとしては、押さえどころです。(笑)」なんて答えたら「これ、僕の兄ちゃん」と、言われた時 、どれだけびっくりしたことか。
その後 来日というか里帰りの時に会いました。
by not a second time (2009-11-08 20:24)
not a second timeさん、こんばんはー。
>バニティ フェアはLPを探しました。今はCDも持ってますが・・・
そういえばたしか紙ジャケも出ましたよねー。
70年代のロックやポップスってやっぱりこちらが感受性豊かだったせいか、いつまでたってもこころ惹かれますね。
>実はメンバーのピータースエットナムは日本人と結婚していまして、
>それが私の友人の姉なんです
わお!
それはすごい!!
そんなことがあるんですね~。
いやいやびっくりしましたー。
グレープフルーツとして活動していたころの話なんか聞きたいですねー^^
by parlophone (2009-11-08 22:21)
いやあ〜、今から39年前のちょうど今頃のベスト20、懐かしいなあ。
数えたらこの中の5枚シングル持ってますよ。
ちなみにこの中のベスト4までの4枚と12位の「悲しみの兵士」です。
私は中3で、この時期高校受験の勉強真っ最中でした^^。
「オールナイトニッポン」、勉強そっちのけで聴いてたなあ(笑)。
でもホント、洋楽が邦楽並みに聴かれていたいい時代でしたね。
もう来ないのかなあ、あんな時代・・・(遠い目)
by MASA (2009-11-08 22:45)
深夜放送・・・毎晩聴いてました。
あの頃は手製のゲルマニウム・ラジオでFENを聴いたり、深夜になると東京の局の放送も必死になって聴いていましたねえ。
ゲルマニウム・ラジオは音量が小さいので、二つ作って両耳にイヤフォンを差し込んで聴いていました(笑)
ハガキや電話のリクエストに関しては「鬼」でした。
私もシカゴはSaturday In The Parkまでですねえ。
この曲は、初めての海外(LA)で丁度大ヒット中だったので耳タコになりました。
同じ時期にはEaglesがデヴューしたんですよ。
サンセット・ストリップの看板が懐かしいです。(ジャケットと同じデザイン)
涙が出そうな今回の記事、確実に遼さんの名作です!
by MORE (2009-11-09 08:29)
Ryoさんへ
ピーターがグレープ フルーツで活動していたころは、19か20くらいでとにかく訳がわからないまま、過ぎていったみたいです。でもパーティなんか頻繁にロンドンではあってみたいで、友達は「この前姉ちゃんがジェフ ベックが来てた」なんて言っていました・・・ううっ うらやましい。
その後ピーターはレコーディング エンジニアをやってまして、アート ガーファンクルの2ndのロンドン セッションにクレジットされています。本人から聞いて「僕持ってますよー」と言ったら嬉しそうでした。
by not a second time (2009-11-09 18:51)
MASAさん、こんばんはー。
>今から39年前のちょうど今頃のベスト20
あ、ほんとそういえば11月ですね…。
気がつきませんでした^^;
>この中のベスト4までの4枚と12位の「悲しみの兵士」です
それはスゴイですね!!
ぼくはもう高校に入っていたので、シングル盤からLPへ興味・関心が移っていったころですね。
でもベスト4はやっぱり印象が強烈に残ってますね。
「男の世界」はチャールズ・ブロンソンとマンダムのCM、「走れコータロー」はアナウンサー顔負けの実況にびっくりしたものでした。
そして「Never Married Railroad Man」。
ショッキング・ブルーはいま聴いても名曲ですよねー。
by parlophone (2009-11-09 23:16)
MOREさん、こんばんは!
>手製のゲルマニウム・ラジオでFENを聴いたり
ぼくも最初はゲルマニウムでしたが、熊本ではFENはまったくムリでしたね。
でも深夜放送は東京の放送局なのに熊本でもばっちり入りました。
夜は電波の状態もよかったんでしょうね。
それでもお手製のアンテナで感度を少しでもよくしようと必死でしたが^^
>この曲は、初めての海外(LA)で丁度大ヒット中…
>同じ時期にはEaglesがデヴューしたんですよ
>サンセット・ストリップの看板が懐かしいです
へえー、すごいなあ~。
1970年にはLAにいらっしゃったんですね。
そしてイーグルスか…。
たしかにいわれてみれば70年ですからそうなりますが、ぼくのなかではシカゴとイーグルスってずいぶん時代的な開きがあるような感じですね。
デビューが1年しか違わないってなんか違和感がありますね~。
>涙が出そうな今回の記事、確実に遼さんの名作です!
ありがとうございます^^
じつは当時のチャートがなかなか見つからなくて、記事を書くのに丸一日かかったんですが、がんばった甲斐がありました♪
by parlophone (2009-11-09 23:26)
not a second timeさん、どうもです。
>ピーターがグレープフルーツで活動していたころは、19か20くらいで
>とにかく訳がわからないまま、過ぎていったみたいです
ああ、やっぱりそうでしょうねー。
あとで振り返ってみて、あのころはすごかったなあー、なんて実感するんですよね。
>友達は「この前姉ちゃんがジェフ ベックが来てた」なんて言っていました・・・
うわあ、スゴイ!!
シビレますね!
>レコーディング エンジニアをやってまして、アート ガーファンクルの
>2ndのロンドン セッション
おお、そうなんですかー。
やっぱり音楽関係で仕事をされてるんですね。
いろんな話が聴けるといいですねー。
あ、それとRyoさんというと"Life On The Road”のほうのryoさんと紛らわしくなっちゃうんで、遼でよろしくお願いします^^
by parlophone (2009-11-09 23:34)
遼さんへ 失礼しました。
ピーターは今は違う仕事をされているようです。
悲しき鉄道員の日本盤シングルは「ビーナスのあとにこんな地味な曲売れない」なんて当時の担当者は思ったらしくて、なんと勝手に回転数を上げてリリースされています。
それにしてもマッシュ マッカーンは日本だけのヒット曲ですね。当時はそんなのがたくさんあって、楽しい日々でした。
by not a second time (2009-11-10 06:38)
お久しぶりです。
>ボーナス・トラックとして「ぼくらに微笑みを」と
>「長い夜」のシングル・ヴァージョンが収録されている。
長い夜のシングル・ヴァージョンがどのようなものか知りませんが、たぶん日本ではLPのを流用して肝心のテリー・カスのアドリブを途中でブッタ切っているシングルなんですよね。おかげでベスト版を買わされた苦い記憶があります。
ヒットチャート
洋楽は全部おなじみの曲ばかりですね。当然と云えば当然ですが。逆に邦楽は知らないのが沢山並んでますね。
09 銀座の女/森進一
10 愛のいたずら/内山田洋とクールファイブ
15 大勝負/水前寺清子
この辺り全然記憶にないですね。
しかし、06 おんな占い/南有二とフルセイルズ
これ、なぜだかフルコーラスで唄えます(笑)
たぶん誰にも評価して貰えないですが(爆!)
♪胸にホクロのある人は、好きな男に騙される~
失礼しました。
by tsukikumo (2009-11-10 18:07)
シカゴのジャケットって、
あの有名なロゴを毎回メインに据えて、
それをいろいろなテーマで料理してるのが楽しいですね。
音は詳しくないけど^^;
ジャケットのデザインは好きなんです。
今回のリイシュー。
ジャケ買いするならドル紙幣をモチーフにしてるヤツですw
by DEBDYLAN (2009-11-10 23:23)
not a second timeさん、こんばんはー。
>遼さんへ 失礼しました
いえいえ、よくあることですから^^
>ピーターは今は違う仕事をされているようです
ああ、そうなんですか。
それはちょっぴり残念ですね。
でも機会があれば60年代のイギリスの音楽界の話が聴けるんですから素敵なことですよね。
>悲しき鉄道員の日本盤シングルは…なんと勝手に回転数を上げてリリース
>されています
そうだったんですか!
それはまたひどい話ですね。
ミュージシャンの思いが営業のひと言に屈してしまう事例というのはいまも昔も変わらないのかもしれませんが、勝手に変えるのはあまりにひどいですねー。
>当時はそんなのがたくさんあって、楽しい日々でした
やっぱり"Oldies but Goodies"ですねー♪
by parlophone (2009-11-11 23:08)
tsukikumoさん、こんばんはー。
お察しのとおり「長い夜」のシングル・ヴァージョンはテリー・キャスの中間部のワウのギター・ソロがばっさりとカットされて、3分という枠のなかにきっちりと収められています。
しかし意外と聴き応えはありますよ。
>逆に邦楽は知らないのが沢山並んでますね
ぼくもtsukikumoさんといっしょで5、7、09、10、15あたりは知らないです。
6も知らないなあと思っていたら
>♪胸にホクロのある人は
でしたか!
なんかめっちゃヒットしましたよね~^^
by parlophone (2009-11-12 23:39)
>シカゴのジャケットって、あの有名なロゴを毎回メインに据えて、
>それをいろいろなテーマで料理してる
そうですよね。
デザイナーの腕の見せ所というやつでしょう。
RHINOに権利が移ったときの35周年ベスト盤なんかも、花壇をテーマに緑の葉っぱでシカゴのロゴ・マークを描き、信じられないところに「XXVII」のマークがあるんですよ!
今度CDショップに行ったときにちょっと探してみてくださいね^^
>ジャケ買いするならドル紙幣をモチーフにしてるヤツですw
ぼくもそうですねー。
けっきょく買いませんでしたが(やっぱり本物にはかなわない)、すごく手間をかけた紙ジャケで、それはほんとうに敬服に値すると思いました。
by parlophone (2009-11-13 00:02)
遼さん、こんばんは
CDの音はいかがですか?
僕はUSオリジナルLPで聞いていますが、いまひとつハイファイ感がないんですよね。
このアルバムは4チャンネルのほうが音がいいと聞いたような気がします(確認してませんが)
by ニブ (2009-11-13 20:27)
ニブさん、こんばんはー。
>CDの音はいかがですか?
じつは先ほどUPした新しい記事には音質のことをちょっとふれています。
ビートルズと比べると、中低域、とくに低域の量感が不足して聞こえるのがちょっと残念ですね。
>僕はUSオリジナルLPで聞いていますが、いまひとつハイファイ感がないんですよね
わあ、それは残念ですねー。
それはともかく、ぼくもオリジナルほしいなあ(笑。
うちの近くの中古ショップでは4chは「高音質レコード」のコーナーに置いてあります。
やっぱり音がいいんでしょうかねえ。
by parlophone (2009-11-14 00:34)
遼さん、こんにちは
>うちの近くの中古ショップでは4chは「高音質レコード」のコーナーに置いてあります。
やっぱり音がいいんでしょうかねえ
未だに4チャンネルLPを色々な方式で楽しんでいるマニア(笑)の方によりますと、「普通のSTEREOのほうが音がよいものが99%だ」そうで、珍しい1%の例がCHICAGOのセカンドらしいのですが。
セカンドがいまひとつといいましたが、2EYESレーベルのファーストの音は大好きです。
by ニブ (2009-11-14 12:19)
ニブさん、こんばんはー。
>未だに4チャンネルLPを色々な方式で楽しんでいるマニア(笑)の方によりますと
>「普通のSTEREOのほうが音がよいものが99%だ」そう
あーら、そうなんですか。
ぼくも4chだから高音質とは限らない気がしてたんですが。
でもたとえばジェフ・ベックの『ブロウ・バイ・ブロウ』なんかはギターのソロが別テイクだったりするらしいですね。
いまだにコアなファンがいるのはわかるような気がします^^
>2EYESレーベルのファーストの音は大好きです
おお、そうなんですか。
ぼくもオリジナル盤、ほしいなあ~♪
by parlophone (2009-11-15 00:17)