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スペンサー・デイヴィス・グループのアルバム [ブリティッシュ・ロック]

このところ仕事もプライヴェートも何やら慌しくて更新がなかなかできない。
記事のネタはあるんだけれど、音楽を聴く暇も映画を見る時間も、そしてなにより画像を撮るヒマがない。
申し訳ありません…。

ということでまだ11月の紙ジャケの紹介である^^;

若き日のスティーヴィー・ウィンウッドの天才ぶりを目の当りにするすることができる、第1期スペンサー・デイヴィス・グループのオリジナル・アルバムが紙ジャケでリリースされた。
驚くべきことに初紙ジャケ化どころか世界初CD化である(!)

   

ウィンウッドにしてもSDGにしても知名度は非常に高いのに、これまでオリジナルがCDになっていなかったなんて容易には信じられない。

ところで、ぼくが初めてスティーヴィ・ウィンウッドの名前を知ったのは、例によって?クラプトンがらみである。
1969年、「ホワイト・ルーム」や「クロスロード」の大ヒットでクリームの音楽を知ったぼくが夢中になって音楽雑誌を読んでいると、すでにクラプトンはクリームを解散し、ジンジャーと元SDG~トラフィックのウィンウッド、元ファミリーのリック・グレッチとともにブラインド・フェイス(盲目的信頼)というグループを結成した…と書いてあるではないか。
すごいショックだった。

だがクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングやレッド・ゼッペリンとともにブラインド・フェイスもスーパー・グループと呼ばれていることを知って、とても興味を惹かれた。
何も知らない田舎の中学生だったぼくは、
「へえ、ウィンウッドってすごい人なんだ…」
とは思ったものの、じっさいの演奏を聴いても「歌のうまい人だな~」以外の感想は持てなかった。

今回初めてSDGの演奏を聴いて、スティーヴィーがいかに早熟の天才であったかを思い知らされた。
とくに驚嘆したのは、セカンド・アルバムに収められた「ジョージア・オン・マイ・マインド」だ。
じつをいうと、CDを買うときも「今さらジョージアでもないよなあ」という思いがあった。
それほどこの曲はぼくのなかではありふれたスタンダードだったのだ。
しかしそのヴォーカルとピアノを聴いて慄然とした。
じつに見事な解釈であり演奏である。
当時なんと17歳!

もしこのブログをお読みの方で、SDGを聴いたことのない方がいらっしゃったら、ぜひ聴いてみていただきたい。

   

紙ジャケは厚紙にフロントだけヴィニール・コーティングの施されたもので、フォンタナ・レーベルを復刻している。


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MORE

SDGと言えば初めてGimme Some Lovin'を聞いた時、てっきり黒人が歌っているもんだと思いました。
しかもまだティーンエイジャーだったなんて今でも信じられません。
というわけでTrafficも好きでしたね。(どちらかというとサイケ+ジャズっぽかったTrafficの方がSDGより好きでした)
あの頃ってリードヴォーカリストで美形だと必ずグループから脱退して別のグループを結成、またはソロになるというのが一つの典型でしたね。
ウィンウッド以外にはP.フランプトン、スコット・ウォーカー、ポール・ジョーンズ…
SDGってTrafficの陰に隠れてイマイチ後年の認知度が低くなってしまったかもしれませんね。
あの頃のブリティッシュR&Bバンドの中ではアニマルズと並んで群を抜いていたと思います。
by MORE (2006-12-14 09:34) 

parlophone

そ、そうでした、Traffic!
今回記事を書くのに完璧に忘れてました^^;
ぼくも「Mr. Fantasy」の入ってる1stあたりはサイケっぽくって大好きです。
それにしてもスティーヴィ畏るべしですね。

>あの頃ってリードヴォーカリストで美形だと必ずグループから脱退して
>別のグループを結成、またはソロになる

なるほど、そうですね~。
でもどのくらいの人が成功したんでしょうか^^
by parlophone (2006-12-14 18:14) 

lonehawk

遼さん、こんばんは!
ワタシも先月SDGの記事を書いてましたので、TBさせて頂きました。

ちなみにワタシの初S.ウィンウッド体験は、「ハイヤー・ラヴ」が全米1位になった時で、その頃は単にヒット曲という風にしか捉えていなかったのですが、さらに何曲かヒットした時に『バック・イン・ザ・ハイ・ライフ』のアルバムを聴いて、その音楽性の高さにヤラレました。
それからのウィンウッドはリアルタイムで追っかけて、ベスト盤で徐々に遡ってSDGまで辿り着くと、とても10代とは思えない才能に溢れていているのに驚きましたね。
それで今でもまだバリバリ現役で頑張っていて、全く衰えも感じさせないのが本当にスゴイです。
by lonehawk (2006-12-14 23:27) 

MORE

Steve Winwood(最初はStevieと言ってましたね。いつからでしたっけ、Steveに変えたのは…本名はStephenです、ちなみに)が兄貴のMuff WinwoodとSDGに加入したのは15歳の時でした!
なんとその前から既にイギリスに演奏旅行で来たブルーズマンのバックでハモンドB3を弾いてたそうです。
マディー・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、B.B.キング、ジョン・リー・フッカーetc.etc.正に恐るべし天才少年!
あ、それからジミヘンのVoodoo ChileでB3を弾いてるのは彼です。
ジョー・コッカーのWith A Little Help From My FriendもSteveですからねー。
で、私が一番好きな彼の曲は…
Low Spark Of High-Heeled Boy/Traffic
リッキー・リー・ジョーンズのカヴァーもなかなかです。
by MORE (2006-12-14 23:57) 

parlophone

lonehawkさん、「ハイヤー・ラヴ」から遡ってSDGって、スゴイですね~。
ぼくもブラインド・フェイスのあとは80年代のMTVまで長いブランクがあったのですが、いつになってもかっこいいですね。
それにしても10代のスティーヴィの天才少年ぶりには言葉もありませんね。

こちらからもトラバさせていただきます!
by parlophone (2006-12-15 00:35) 

parlophone

>ジミヘンのVoodoo ChileでB3を弾いてるのは彼です
>ジョー・コッカーのWith A Little Help From My FriendもSteve

そうだったんですか~。
知らないうちにスティーヴィの演奏を耳にしてたんですね!
それにしてもスティーヴィといえば、リトル・スティーヴィ・ワンダーも驚くべき天才少年ぶりだし(←なんの関係もない…^^;)すごいですね!!
by parlophone (2006-12-15 00:42) 

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