『サージェント』と「イエスタディ」の夏~ ビートルズの想い出 part 2 [BEATLES]
少年は中学に入ると、吹奏楽部やテニス部からの勧誘を断って放送部に入った。
小学校のときに読んでいた雑誌『子どもの科学』の付録で組み立てたゲルマニウム・ラジオの小さなイヤフォンから聞き覚えのあるDJの声が聞こえてきたとき、夜空を飛びかう電波をつかまえて自分の好きな音楽に換えてしまう「ラジオ」という小さな宝石箱の魅力にハマってしまったのだ。
ラジオやテープそしてレコードなどというものと日常的に接することのできる放送部という部活は少年の眼にはわくわくするほど魅力的なものに映った。
放送部にはワタナベさんというアナウンス担当の先輩がいた。
ワタナベさんは熱狂的なビートルズのファンだった。
少年は小学校3年生のときに近所のお兄さんの影響で自分でもレコードを買うようになっていた。
初めて買ったレコードはヴィレッジ・ストンパーズの「ワシントン広場の夜は更けて」というシングル盤。
あとになって少年は「どうしてこのレコードが自分の初めてのレコードなのだろう?」とときどき思うようになる。
バンジョーがテーマを奏でるインストゥルメンタルで、哀愁のあるメロディはクラリネットやトランペットの入ったにぎやかな伴奏とはうらはらにちょっぴり感傷を誘うものではあったが、小学生が何度も何度も繰り返し聴きたくなるようなレコードではなかった。
そのうちビートルズが現れ、ローリング・ストーンズ、アニマルズ、ザ・バーズ、ママス・アンド・パパスというような英米のバンドがラジオでヒットチャートをにぎわすようになる。 国内ではザ・スパイダースや(ジャッキー吉川と)ブルー・コメッツといったグループ・サウンズが活躍するようになっていた。 なかでも印象的だったのは加山雄三で、かれはワイルド・ワンズやザ・ランチャーズといったバンドをバックに歌うことも多かったが、父親は高名な俳優で、自身も黒澤明の『椿三十郎』や『赤ひげ』といった作品に出演する俳優であり、同時に弾厚作の名で作曲も行うという、つまり日本におけるシンガー・ソングライターの草分け的存在でスーパースターだった。 | (父が買ってきたシングル盤) |
話をビートルズに戻そう。
少年にとってはそうした英米の人気バンドにひとつに過ぎなかったビートルズが特別な存在だと意識されるようになったのはワタナベさんの影響が大きかった。
彼女はビートルズのことならどんなことでも知っていた。
リンゴだけが芸名で本名ではないことや、ハンブルグ時代からのオリジナル・メンバーではないことから始まって、ジョンが母親ではなくおばさんに育てられたこと、ポールとの劇的な出会いのことなど、ワタナベさんの話を聞いているうちに、それまで断片的にしか知らなかったビートルズにかんする情報が、少年のあたまのなかで系統的な知識になっていくのだった。
たしかにビートルズのヒット曲はほかのバンドとは比べものにならないほど多く、ほんとうの意味でケタ違いだった。
小学校4年生のときラジオで初めて「抱きしめたい」を聴いてから3年ちょっとのあいだに、「プリーズ・プリーズ・ミー」、「シー・ラヴズ・ユー」、「キャント・バイ・ミー・ラヴ」、「フロム・ミー・トゥ・ユー」、「オール・マイ・ラヴィング」、「ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!」、「恋する二人」、「アンド・アイ・ラヴ・ハー」、「すてきなダンス」、「アイ・フィール・ファイン」、「涙の乗車券」、「ヘルプ」、「恋のアドヴァイス」、「イエスタディ」、「恋を抱きしめよう」、「ひとりぼっちのあいつ」、「ペイパーバック・ライター」、「イエロー・サブマリン」、「ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー/ペニー・レイン」といったシングルがそれこそヒット・チャートを独占し続けたのだから。
ワタナベさんは全シングルはもちろんのこと、当時国内で発売されていたアルバムもすべて持っていたのだろうと思う。
でもワタナベさんにレコードを貸してもらうことはなかった。
少年のなかではレコードというのは借りたり貸したりするものではなかったのだ。
父親がとくにレコードに関しては厳しい人だった。
レコードの持ち方からターンテーブルへの載せ方、針の下ろし方、一度傷がついてしまったレコードは二度と元には戻らないこと、等々…。
しかしすべての人がレコードを父親と同じように取り扱うとは限らなかった。
1か月の小遣いが300円の少年にとって、370円のシングル盤は大変な貴重品だったが、それを人に貸すということはあげるということと同じだった。
ピクチャー・スリーヴが折れたり、レコードに指紋がついたり、レーベルにヒゲがついたり、最悪のばあい音溝に傷がついても、それは貸したほうが悪いのだった。
だから少年はワタナベさんに「ビートルズのレコードを貸して」と言ったことはなかった。
もちろん、「貸して」と言っても断られたかも知れないのだが(笑)。
少年もいよいよ自分でビートルズのシングル盤を買う日がやってきた。 母親と一緒に買い物に出かけた日曜日の昼下がり、少年はデパートのレコード売り場のビートルズ・コーナーでたっぷり小1時間迷いつづけた。 上に挙げたようなレコードのほかにも「ツイスト・アンド・シャウト」だとか「のっぽのサリー」だとか、ほかにもシングル盤はたくさんリリースされていた。 なかには聞いた記憶のないような曲名のものもあったが、ほとんどはラジオで聞いた素敵な曲ばかりだった。 迷ったあげくに買ったシングル盤は「アクト・ナチュラリー/イエスタディ」。 曲名を聞いたときのワタナベさんの、ちょっと呆れたような微笑は忘れられない。 (ただし、当時「イエスタディ」はとても人気のある曲だったが、今のように手垢にまみれた感じはなかった、もちろんのことだけれど。) そしてワタナベさんはぼくのことをほんとうに弟のように可愛がってくれたから、それで傷つくこともなかったのだけれど。 |
(これは再発盤のジャケットだが帯はほぼ同じ) | ビートルズの、というよりポピュラー界の金字塔といわれるようになる『サージェント・ペパーズ』がリリースされたのが1967年、少年が中1の夏だった。 ラジオからは「ストロベリーフィールズ~」や「ペニー・レイン」というシングル・ヒットとならんで、アルバムからピックアップされた曲が流れていた。 街のレコード・ショップのウィンドウにはたくさんの人物が並んだとても印象的なアルバム・ジャケットが、赤い帯をつけられてディスプレイされていた。 当時の中学生にとって、ビートルズの変化というのはどんなふうに感じられていたのか。 まず、タイトルの長さだ。 「Strawberry Fields Forever」、「Sgt Pepper's Lonely Hearts Club Band」、「With a Little Help from My Friends」、「Lucy in the Sky with Diamonds」というように明らかに意図的な長いタイトル。 |
ラジオでリクエストしたりレコード・ショップで注文したりするためには、覚えやすく短いタイトルのほうがぜったいに有利なわけで、こんなふうに覚えにくいタイトルは逆にインパクトがあって、一生懸命覚えようと努力したりした(笑)。
それから曲中のSE、しかも雑音を用いるという手法がとても斬新だった。
「ストロベリーフィールズ」の最後に現れるSE、「サージェント・ペパーズ」の冒頭のコンサートのチューニングやどよめきなど、これまでのポップスやロックにはなかったもので、これもビートルズの新しい手法だった。
そしてこれまでの覚えやすくキャッチーな曲調とはあきらかに違う、複雑なメロディや展開をもつ楽曲。
一言でいうと、「ビートルズもなんだか難しくなっちゃったなあ」というのが正直な印象だった。
それで『サージェント』というアルバムはちょっと手を出しにくい感じがあった。
少年がビートルズの最初のレコードとして「アクト・ナチュラリー/イエスタディ」という、2年前のシングル盤を選んだのは、そういう背景もあったと思う。
中学2年生のときだったと思うが、英語の先生が学校にカセット・レコーダを持ってきた。
それまでテープ・レコーダーというのはすべてオープン・リール式で、放送部ももちろんオープン・リールのテープを放送に使用していた。
カセット・レコーダの小ささは驚異的だった。
けれども音はやはり貧弱で(というか、音声教材とか音声メモとかそんなことが主な使い方だった)、これがまさかオーディオの一分野に発展していくなんて想像もできなかった。
ところが少年が高校生になる年、父親の仕事の関係で熊本から岡山へ転居するとき、クラスメイトだったヨコタくんは、まだ珍しかったカセット・レコーダを餞別としてくれたのだ。
自分が使っていた中古とはいえ、カセット・レコーダをくれたヨコタくんは神様のような人だった。
少年の小遣いは1か月2,000円に増えていたが、カセットの生テープは1本700円。
少年はやっとの思いで1本だけカセット・テープを買うと、友だちから借りた『サージェント・ペパーズ』を録音し、それは転校したあと長いあいだ、かれの宝物のひとつになった。
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今晩から岡山の母のところに帰省します。
16日までコメントはできないと思いますが、みなさんのご感想お待ちしてま~す^^
お久しぶりです。
う~んやっぱり文章の書き方がうまいですね。
一気に読んでしまいました。
>レコードというのは借りたり貸したりするものではなかったのだ
ああ、その気持ちわかります!(レコードに指紋がついたり…←経験者)
>覚えにくいタイトルは逆にインパクトがあって、一生懸命覚えようと努力したりした(笑)。
この気持ちもわかりますね!
by 氷春友 (2006-08-12 00:34)
私もゲルマニウム・ラジオ作りましたねー。
二つ作ってイヤフォーンを両耳に入れて「ステレオだー!」(んな筈ない…)と喜んでいました。
私が最初に買った洋楽レコードはヴェンチャーズのコンパクト盤でした。(オレンジ色の誰もが持っていたアレです-爆)
シングル盤はマッコイズの「ハング・オン・スルーピー」
2曲で330円(その後370円、そして400円)は高かったですね。
東芝のLPが1800円(後に1750円になってしばらくはステッカー処理でした)、日コロが1900円だったですね。
うーむ、旧きよき時代・・・か?
by MORE (2006-08-12 14:55)
遼さん、久しぶりです。
僕が放送部だったなら、クセナキスやメシアン、グラスなんかを流して部長も部員も誰の意見も聞かず、なおかつライリーなんか流しまくって退部するでしょう。
僕はそういうヤツでした。
友達もいなかったし。 orz
by 幻燈遮断機 (2006-08-12 18:34)
ビートルズの知識を享受してくれたワタナベさん、当時はまだ決して安価で入手出来るものではなかったはずのカセット・テレコをくれたというヨコタくん、遼さんの周りにはいい人がいましたね。それにしてもヨコタくん気前よすぎ。金持ちのおぼっちゃんだったんでしょうか?(笑)
私が中高生だった頃はレコードの貸し借りは友人何人かの間ですいぶんしましたが、やっぱりその中にはノイズが入って帰って来たレコードも何枚かありますね。でもそんなことはあんまり気にしないで貸し借りしたものです。ガッツリとキズを付けられて帰って来たりしたらさすがに怒りましたけどね(笑)。オープン・リールは高価で扱いづらく、ラジカセも出始めでまだまだ主流じゃなかった私たちの世代はレコードを借りて録音するなんていうことがあまり一般的じゃなかったので、借りてひたすら何回も聴くのみでしたっけねー。ネットから音源をダウンロード出来る現在と比較すると、やっぱり隔世の感がありますねえ。
ところでこのシリーズ、遼さんの大学生編〜社会人編〜結婚編〜なんて続くんでしょうか(笑)。今後も楽しみです。
by MASA (2006-08-12 22:53)
こんにちわ。
とても楽しく拝見させていただきました。
やはり、音楽に興味を持つには先輩や兄弟、近所のおにいさんやおねえさん、
特に数年上の世代の情報がすごく新鮮で引き込まれたものでした。
米盤のLP「HEY JUDE」を買ったときにラベルが「THE BEATLES AGAIN」
になっている理由やフランス盤も同じだということをを教えてくれたり、
目からうろこの話が多く、当時はもううれしかったです(笑)
by tamachi (2006-08-13 15:19)
遼さんの記事を拝読して、やっぱり、リアルタイムの凄さ。
ってのをつくづく感じ、なんか、打ちのめされた気分になります。
リアルタイムに存在するバンドが自分の感受性を形作って行く事実。
なんか、僕がSTONESの事とかを語る事の「薄っぺらさ」を感じます…
僕のリアルタイムは、DURAN DURANや、H&OのPRIVATE EYESとか…
リアルタイムの音楽が僕に何を与えてくれたかを考えると…
良い時代をお過ごしになられた事に、嫉妬します。
by V.J. (2006-08-13 22:42)
お暑うございます。
またまた、興味深く拝読しました。ホント、生々しい貴重なお話をありがとうございました。
その時、その場に居ないと体験出来ない事柄ばかりですもんね。羨ましい限りです!
この先の展開も実に楽しみです。
by chitlin (2006-08-14 08:23)
遼さん、こんにちは。
毎日暑いですね。
遼さんや、同世代の方の実体験、とくにビートルズに関連した思い出って、後追い世代では味わえないリアリティー感じます。羨ましいです。つい、あと10年早く生まれてたらなぁ〜ねんて思ったり。こうした遼さんたちの世代の「記憶」が、後追い世代の私や、私の下の世代なんかにに伝えてくれることって、ありきたりのビートルズの歴史を暗記した脳みその中の溝を埋めてくれる貴重なストーリーです。
MASAさんが言われるように・・・
遼さんの大学生編〜社会人編〜結婚編〜・・・など聞けたら、これはビートルズ関連書籍買うより、素敵だなって思いました。
>そしてワタナベさんはぼくのことをほんとうに弟のように可愛がってくれたから、それで傷つくこともなかったのだけれど。
クールに書かれているけど、十代の心の葛藤が伺えます。(生意気言ってすみません)
ワタナベさんを困らせないように、淡い気持ちを心にしまい込む遼さんって、ホントは傷だらけだったんじゃないかって、勝手にキュンとしてました。
by hamakaze_ataru (2006-08-14 09:53)
遼さんの「サージェントとイエスタデイの夏」を読むうちにいろんなことを思い出してしまいました。僕はビートルズ世代の最後の方の引っかかりくらいなんですが(笑)、小6の時だったか・・・4つ上の兄貴がビートルズのシングル盤「ヘイ・ジュード」(東芝のodeonラベルでこの後すぐappleになってしまったとのこと)を買ってきて得意そうに聴かせてくれました。まだ「ステレオセット」を買う前で、小さなプレイヤーで、本当に何度も聴きました。後半、コーラスの繰り返しになってからが、いつまでも長く続くので、兄貴と「まだ聞こえる、まだ聞こえる」とか言いながら、クルクルと回るあの赤いシングル盤を見つめてましたよ(笑)
「ラーラーラーッ・ラララッラー」
ちなみにB面は・・・あまりにやかましくてほとんど聴いてないはずです(笑)
by bassclef (2006-08-14 21:21)
わあ、遼さん、出遅れてしまいましたm(__)m いつ続編が出るのかな、と思いながら最近私のわからない分野のことが多かったので・・・(笑)
私がずーっと聞きたかった、リアル体験した方の生々しい話に興奮しました!読んでるんじゃなくて、お話を聞いてるみたいです。
中学のときに、ビートルズのリアルな進化に直面した、というところがすごくうらやましいです。
自分自身も変化するとき(思春期)であり、もっとも感性の瑞々しい時期ですものね。子どもじゃなくて大人じゃない。他のどの世代より「変わっていくビートルズ」を真っ白な心で受け止めたんじゃないか、と思います。私の中学生のときは、もう語りつくされていた、というかいろんな教材があって少しずつ勉強していった、という感じでした。ビートルズ。
でも、どうやら遼さんと私は8歳くらいしか違わないんですよ。
たった8年で、なぜこんなに、昔の話を聞いてる感じがするのかな?
おそらく、ビートルズがデビューし、駆け抜けた8年間がちょうど遼さんと私の間にあって、その間に彼らによってもたらされた音楽的革命はもちろん、意識改革や文化の成熟、そして音響機器のめざましい進歩があったのだと思いました。
たぶん、1992年生まれの人と、2000年生まれの人が後に音楽を語っても、そんなに違いはないと思うんですよ。
だから、遼さん世代はビートルズファンにとってプレミアム世代のような気がします。なんともうらやましい。
ワタナベさんとのエピソードも胸キュンものです(^_^)
今でも交流があったらなお楽しいですね。
では、次回は解散時の衝撃や、ジョンの「GOD」を初めて聴いたときの気持ちなどをぜひぜひ!(またリクエストですみません)
by satomi (2006-08-14 23:50)
遼さん、毎日暑いですね。年々暑くなるみたいです。
放送部は決まって昼休みにカーペンターズやジグソーのスカイハイを流していました。
たまに、時には娼婦のように、愛の水中花のような歌謡曲も・・・へんな放送部
ビートルズの全盛期が青春時代って、いいですね。ビートルズと一緒に成長することができるなんて!
ビートルズの来日時に自分のレコードを聴かせた若大将も全盛期、ますます、いいです。
小学生の頃、初めて買ったシングル盤が、ウィングスの「007死ぬのは奴らだ」、左とんぺいの「ヘイユウブルース」、夏木マリ「裸足の女王」・・・へんな組合せ
70年代の小中学生には、洋楽よりも歌謡曲が目にも耳にも異常な衝撃がありました。
>一度傷がついてしまったレコードは二度と元には戻らないこと
レコードを大事に扱う頃は、中身の音楽も大事にしていたと思います。
音楽をデジタル・データ化したCD以降、簡単にコピーは取れるし、取り扱いが簡単になった分、音楽の扱いも雑になったような気がします。
by nicodemaro (2006-08-16 07:21)
氷さん、ご無沙汰しました。
>一気に読んでしまいました
ありがとうございます。
>>レコードというのは借りたり貸したりするものではなかったのだ
>ああ、その気持ちわかります!(レコードに指紋がついたり…←経験者)
レコードを単なる消費財だと思ってる人なんか、思いっきり音溝触ったりしますからね(笑。
そういう人を初めて見たときは、それこそ目が点になりました。
by parlophone (2006-08-16 20:48)
MOREさん、どうもです。
>二つ作ってイヤフォーンを両耳に入れて「ステレオだー!」
おもしろ~~い!
これはさすがに経験がありません^^
>シングル盤はマッコイズの「ハング・オン・スルーピー」
ああ、いい曲ですね~。
ぼくも「ワシントン広場~」からしばらくの間は330円時代を経験してます。
370円→400円はけっこう速かったような記憶があります。
>うーむ、旧きよき時代・・・か?
父の給料が3万円のころに国内盤が1,500~1,800円ぐらいですからね。
値段だけでいうとあまりいい時代ではないかな(笑。
by parlophone (2006-08-16 20:54)
幻ちゃん、お久~~。
>クセナキスやメシアン、グラスなんかを流して部長も部員も誰の意見も聞かず、
>なおかつライリーなんか流しまくって退部するでしょう
退部しちゃダメだよ(笑。
ぼくにはまったくわからない世界だけど、だんだん放送部がインディー局みたいになっちゃって、それはそれでおもしろいかも^^
by parlophone (2006-08-16 20:56)
MASAさん、どうもです。
>遼さんの周りにはいい人がいましたね。
こうして振り返ってみるとほんとうにそうですね。
>それにしてもヨコタくん気前よすぎ
>金持ちのおぼっちゃんだったんでしょうか?
まちがいなくそうでした(笑。
>そんなことはあんまり気にしないで貸し借りしたものです
ぼくも先輩から頼まれてどうしても断りきれずに1回だけ貸し借りしたことがあります。
「遼のレコードはどうしてこんなにきれいなの!?」
って驚いてましたが、やっぱり帰ってきたときはピクチャー・スリーヴにシワがよってました(笑。
そのとき貸してくれたのがヤング・ラスカルズの「グルーヴィン」だったので、とても感動はしたのですが…。
>遼さんの大学生編〜社会人編〜結婚編〜なんて続くんでしょうか(笑)
>今後も楽しみです。
ありがとうございます。
どこまで続くんでしょうか。
自分でもよくわかってません(笑。
by parlophone (2006-08-16 21:03)
tamachiさん、どうもありがとうございます。
>特に数年上の世代の情報がすごく新鮮
そうですね。
こういう人がいるのといないのじゃ情報量がぜんぜん違う。
やっぱり2~3歳上の人が教えてくれるとすごく引き込まれますね。
>米盤のLP「HEY JUDE」を買ったときにラベルが「THE BEATLES AGAIN」
になっている理由や
>フランス盤も同じだということをを教えてくれたり
なるほど~。
かなりコアなファンの方ですね。
ワタナベさんとはまたちょっとレベルが違います(笑。
by parlophone (2006-08-16 21:07)
V.J.さん、ご無沙汰してます。
>やっぱり、リアルタイムの凄さ。
>ってのをつくづく感じ、なんか、打ちのめされた気分になります
う~ん、ただその場で生活をして音楽を聴いていただけなので、自分としてはあまり実感はありません。
ただ、振り返ってみていい時期に思春期を送ったなあということはやはり感じますね。
ビートルズがいてストーンズがいて、ザ・フーがいた…みたいな。
>DURAN DURANや、H&OのPRIVATE EYESとか…
前者は「グラビアの少女」でしたっけ?
PVにドキドキした記憶ぐらいしかありませんが、ホール&オーツは今でもときどき聴きます。
「PRIVATE EYES」、「KISS ON MY LIST」(あってるかな?)、「MAN EATER」とかね(笑。
ブルー・アイド・ソウルって、なかなかいいじゃないですか!
by parlophone (2006-08-16 21:14)
chitlinさん、いつもどうもです。
>またまた、興味深く拝読しました
>ホント、生々しい貴重なお話をありがとうございました
>この先の展開も実に楽しみです
ありがとうございます。
この先どの程度興味ある話が書けるかわかりませんけれど、ご期待に背かないようにがんばります^^;
by parlophone (2006-08-16 21:18)
大安洋行さん、いつもありがとうございます。
暑いですね~。
福岡は35℃ぐらいはありそうでした。
でも明日は台風かな?…。
>つい、あと10年早く生まれてたらなぁ〜なんて思ったり
どうなんでしょうかね~。
『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画がありましたが、あのまんまの世界ですからね。
まあ不自由で不便なこともたくさんありました。
とくに子どものかかる病気とかね…。
思い出ですから綺麗に感じますけど(笑。
>ビートルズの歴史を暗記した脳みその中の溝を埋めてくれる貴重なストーリーです
そういっていただけるのはすごくうれしいし励みになります^^
>これはビートルズ関連書籍買うより、素敵だなって思いました
わはは、褒めすぎです。
お茶しか出ませんよ(笑。
>ワタナベさんを困らせないように、淡い気持ちを心にしまい込む遼さんって、
>ホントは傷だらけだったんじゃないかって、勝手にキュンとしてました
いや~、大安さん考えすぎです。
ただの無邪気なガキですから(笑。
by parlophone (2006-08-16 21:27)
bassclefさん、いつもありがとうございます。
>4つ上の兄貴がビートルズのシングル盤「ヘイ・ジュード」(東芝のodeonラベル
おお、そうなんですか!
じつは「ヘイ・ジュード」のシングル盤は、妹が初めて買ったレコードで、たぶん次回登場すると思います^^
>後半、コーラスの繰り返しになってからが、いつまでも長く続くので
そうですよね。
当時としてはこれも型破りのシングル盤でした。
このへんも次回ということで(笑。
by parlophone (2006-08-16 21:31)
satomiさん、ご無沙汰してます。
>いつ続編が出るのかな、と思いながら
すみません!
「あまり間を置かずに…」なんて言っときながら1か月以上も空いてしまいました m(_ _)m
>読んでるんじゃなくて、お話を聞いてるみたいです
ありがとうございます。
たぶんすごい褒め言葉なんじゃないかと思われ…。
>他のどの世代より「変わっていくビートルズ」を
>真っ白な心で受け止めたんじゃないか、と思います
うんうん、真っ白かどうかは別として(←そういう話じゃない?)
変化に一生懸命ついて行ったというか、連れて行かれた、という感じはありますね。
ビートルズの音楽を追いかけていくうちに、今までとはまったく違った景色が広がったところにたどり着いてる…という感覚は何度か味わいましたね~。
>どうやら遼さんと私は8歳くらいしか違わないんですよ
おお、ぼくのパートナーとほぼ同世代ですね!
>ビートルズがデビューし、駆け抜けた8年間がちょうど遼さんと私の間にあって
うわあ、これはほんとそうかもしれない。
今まで考えもしなかったけど、そういうJUSTな世代間ギャップというのがビートルズにかんしては存在しそうですね…。
>ワタナベさんとのエピソードも胸キュンものです(^_^)
>今でも交流があったらなお楽しいですね
ああ、どこで何をなさってるんでしょうね。
「ビートルズ?
う~ん、そういう時期もあったかなあ~」
なんて言われたりして^^;
>では、次回は解散時の衝撃や、
>ジョンの「GOD」を初めて聴いたときの気持ちなどをぜひぜひ
すみません、予定よりちょっと長くなりそうなんで、次々回ぐらいになると思います。
申し訳ない!
by parlophone (2006-08-16 21:44)
nicodemaroさん、いつもありがとうございます。
ほんと、毎年暑くなってるような気がしますねえ。
>ジグソーのスカイハイを流していました
おお、ありましたね~。
なかなかいい曲でした^^
>たまに、時には娼婦のように、愛の水中花のような歌謡曲も・・・へんな放送部
ほんと変な放送部ですね(笑。
>初めて買ったシングル盤が、ウィングスの「007死ぬのは奴らだ」、
>左とんぺいの「ヘイユウブルース」、夏木マリ「裸足の女王」
う~ん、ぼくの想像の範囲を超えた選曲です。
夏木マリを買う小学生って…(笑。
>70年代の小中学生には、洋楽よりも歌謡曲が目にも耳にも異常な衝撃がありました
それは少しだけどわかるなあ^^
数年前まで「3人娘」とか言ってやたら健康的だった伊東ゆかりが、とつぜん「♪あなたが噛んだ、小指が痛い」なんて歌い出したときには、この人どうしちゃったんだろうって、マジ思いましたもん(笑。
ぼくももう中学生でしたからなんとなく意味深な感じは伝わりましたが…。
>取り扱いが簡単になった分、音楽の扱いも雑になったような気がします
これ、ほんとに感じますよね。
J-POPのなかには使い捨ての音楽って感じのものが確かにありますから…。
by parlophone (2006-08-16 21:55)