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あらしのよるに~ ビートルズの想い出 part 1 [BEATLES]

今から40年前、1966年の初夏…。

土曜日の昼下がり、1台のおんぼろバスが土ぼこりを挙げながら走っていた。
開け放したバスの窓からは生ぬるい風が入ってくる。
のんびりと田舎の国道を走るバスとはうらはらに、少年のこころは焦っていた。
今日は急いで家に帰らなくてはならない。
来日中のビートルズの日本公演がTVで放映されるのだ…。

   
   (首都圏では7月1日(金)午後9時からTV放映された当日昼の部のコンサート。「恋
    をするなら」でジョージのヴォーカルにコーラスをつけるジョンとポール)


クラスでもビートルズは話題になっていた。
さすがに熊本からビートルズを見に上京するなんていう小学生はいなかったが、ポップス好きの連中はクラスの中に4、5人はいて、ビートルズの話題で盛り上がっていた。
英語の歌詞だからどんな内容が歌われているかなんてことはわからなかったが、わくわくするようなリズム、こころ躍るメロディと美しいコーラス。
「抱きしめたい」や「シー・ラヴズ・ユー」のようなアップ・テンポの曲はもちろんだが、「オール・マイ・ラヴィング」や「アンド・アイ・ラヴ・ハー」のようなミディアム~スロー・バラードも人気があった。
ただどちらかというと熱狂的なビートルズ・ファンというのは女子が多くて、「ポ~~~ル~!!」とか「ジョ~~~ン!!」とか叫んでいるのを、男子たちはちょぴり白け気味に眺めながら、運動場で三角ベースに熱中したりしているのだった。

少年の両親は音楽や映画が好きだったから、日曜日には必ずラジオから音楽が流れてきたし、給料日になると父親がよくシングル盤や時にはLPを買ってきて、それをみんなで聞いていた。
そのころ少年がとくに好きだったレコードが2枚ある。
1枚は『サ・セ・ラ・シャンソン』という、その名のとおりイヴ・モンタンやイヴェット・ジロー(女性です、念のため)のシャンソンを集めたコンピレーション・アルバム。
もう一枚はハリー・ベラフォンテの「さらばジャマイカ」というシングルである。
とくに「さらばジャマイカ」は大のお気に入りで、父親のいないときには絶対に触ってはいけないと厳命されていたレコード・プレイヤーでこの曲をかけて、父親にこっぴどく叱られたことがある。

ビートルズが日本でも紹介されて、連日のようにラジオから流れるようになると、下ネタなんてめったに口にしない父が珍しく品のない駄ジャレを言った。
「ビートルズって汚ねえなあ…(笑)」
「どうして?」
「アイ・ウォナ・ホーニョー・ヘ~だって」
「ホーニョーってなに?」
「おしっこすることだよ。放尿しておまけに屁(笑)」
「いやだ、お父さん(笑)」(これは母)

ビートルズはあっという間に日本でも大人気になっていった。

それまでは海外のポップスは日本語の歌詞をつけられて日本の歌手によって歌われることが多かった。

森山加代子の「月影のナポリ」(1959年、原曲はイタリアのカンツォーネ歌手ミーナ)やダニー飯田とパラダイス・キングのヴォーカルだった坂本九の「素敵なタイミング」(1960年、ジミー・ジョーンズ)、弘田三枝子の「ヴァケイション」(1962年、コニー・フランシス)あたりは知ってる人も多いと思うが、田辺靖男と梓みちよがポールとポーラの「ヘイ・ポーラ」をカヴァーしたり(1963年)、九重佑三子がパラ・キンと組んでフォー・シーズンズの「シェリー」を大ヒットさせたり(1963年)していた。
面白いところではTV映画『ローハイド』(1959年~ ブレイク前のイーストウッドの主演作として有名)の主題歌(フランキー・レイン)を伊藤元道とリリオ・リズム・エアーズがカヴァーしたのだが、本物が鞭を打ち鳴らすのに対し、リリオ・リズム・エアーズはスリッパを叩いてお茶の間を沸かせたりしていた。

ところが64年にビートルズが日米で大ブレイクすると、ブリティッシュ・インヴェイジョンの波は太平洋を渡って日本にもたどり着き、ストーンズをはじめとして、ハーマンズ・ハーミッツ、デイヴ・クラーク・ファイヴ、アニマルズなどのヒット曲がラジオで流れるようになっていたのだった。

それでもビートルズの人気は桁外れで、65年になるとまずキャッチーなリフがこころをとらえる「アイ・フィール・ファイン」が大ヒット(冒頭のノイズがフィードバックという作為的なものだったと知るのは少年が大学生になってからである)。
さらに「ロックン・ロール・ミュージック」、「涙の乗車券」、「ヘルプ」さらには「イエスタデイ」とメガ・ヒットがつづいて、ほかのグループの活躍が霞んでしまうほどだった。
すくなくとも熊本の小学生の間では「すてきなダンス」や「のっぽのサリー」が話題になることはあっても、「サティスファクション」や「黒くぬれ!」が話題になることはめったになかった。

もう少し後の話になるのだが中学に入学すると、昼休みの校内放送の時間には『ラバー・ソウル』のなかからポールの「ミッシェル」とジョンの「ガール」が流れたりした。
放送部に熱狂的なビートルズ・ファンの女子がいて、アルバムを持ってきては好きな曲を流したりするのだから、素敵な中学校だった^^

さて1966年は「恋を抱きしめよう」のナンバー・ワン・ヒットで幕を開けるのだが、少年がもっとも衝撃を受けるのは6月15日にリリースされた「ペイパーバック・ライター」である。
もちろんビートルズの新曲というと、リリースの前からラジオではヘヴィー・ローテイション状態になるのだが、この曲はラジオで聴いても強調されたベースがヴンヴンと唸りを上げ、それまでの曲からさらに1段階ワイルドな音作りになったという感じだった。
そのころ少年は『小学6年生』という学習雑誌を毎月購入していたのだが、それを買うためにいつもの本屋に入ったときに、そこのスピーカーから小さな音で流れていた「ペイパーバック・ライター」。
そのときの衝撃はいつまでも忘れられないものになった。

そしてその直後にビートルズは来日したのだった。
予定されていた6月28日は台風のため羽田が使えず、4人が到着したのは29日(水)の午前3時過ぎだったらしい。
まさに「あらしのよるに」ビートルズは日本の地に降り立ったのだった。
疲れた顔も見せずに、法被を着て日航機のタラップを降り立つ姿は、その後繰り返しTVのニュースで流されることになるが、バックの空が真っ暗なのはそういう事情だった。

   

少年は小学校6年生のときに熊本市からその南にある宇土市に転居した。
けれども熊本市内にある有名な高校に進学するためには熊本市内の中学に通っているほうが圧倒的に有利である。
それで少年は転校をせずに小6からバス通学を始めたのである。

もうすぐ梅雨が明けて、夏休みも間近な7月2日土曜日。
少年は4時間の授業が終わると急いでバスに乗って自宅に向かった。
ビートルズのTV放送は午後4時からだっただろうか。

けれども少年は疲れていつの間にかうとうとしてしまい、はっと気づくと降りるはずのバス停を大きく乗り越していた。
やっとの思いで家に着いたとき、ビートルズの日本公演のTV中継は終わっていた…。

なんのこっちゃ…(^o^; 

   
   (その後ヴィデオなどでリリースされた6月30日のライヴ。オープニングで「ロックン・
    ロール・ミュージック」を熱唱するジョン)


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てらだ

遼さん、こんばんは。

リリ-・フランキー(←またまた名前、違ってました?)の「東京タワー」も
霞んでしまうような涙、涙の物語に感激してしまいました。

当時の少年の様子が目の前に浮かんでくるような素晴しいお話、
家族の様子や当時の音楽シーンまで含めて、本当にこれを読んでいる皆さんも
40年前にタイムスリップしたように感じているのではないでしょうか?

実は私自身、30歳くらいまでの時は、他のファンがビートルズをどう思っているか
なんていうことはあまり興味がなかったのです。

しかし、今では色々な人のビートルズ体験を読み聞きすることで、
単にビートルズだけでなくて、その周りの社会状況や世間一般がビートルズを
どのように受け止めていたのかが知ることができるので、今では
他の人のビートルズ体験を聴くのが一番楽しみとなっています。
(人間、歳をとると考え方も変わってくるものです)

もちろん、一番興味あるのは60年代を体験された方の本当の声ですが
私のような解散後のファンの方の声もいっぱい聞かせていただきたいと
思っています。

また、私のサイトでは私自身の当時の感想をなるべく書くようにしているのですが
そんな私の話にちょっとでも興味を持って聞いてくださる方がいれば、あるいは、
解散後の当時の様子が少しでも伝わればと思って書かせていただいている次第です。

最後はちょっと余談になりましたが、遼さんのお話の第2部も楽しみにしています。
by てらだ (2006-07-01 21:09) 

tamachi

遼さん、こんばんわ~
40年前の体験を楽しく拝見させていただきました。
僕はこの時は小学校2年だったので、ウルトラマンに夢中でしたが
テレビニュースで大騒ぎしているのを今でも、鮮明に覚えています。

また機会がありましたら、このようなお話を聞かせください。
by tamachi (2006-07-01 21:24) 

satomi

遼さん、私が一番知りたかった、リアル体験してらっしゃる方のお話をUPしてくださって、ありがとうございます!
冒頭、バスからみた風景が想像できるような書き出し、これからどんな物語が始まるのかワクワクしました。ほのぼのとしたいい時代か垣間見えます。さすが、文学専攻の遼さん!
それに、遼さんのご両親は「ハイカラ」でいらしたんですね。(お父様は『空耳』のセンスも持ってらっしゃるし!)
うちの両親なんて「ビートルズ?はぁ?」って感じでした(^_^;) どんなに興味がない人でも、さすがにニュースや新聞では目にしているはずなのに。。。ね。
学校でも、そんなにかかっていたなんてスゴイなぁ~。
あの・・・1つ聞きたいんですけど、「ビートルズが流行った当時、ファンだった層は不良だった」 ってのは、あれは事実ではないですか?
私の上司で、今50代後半の人が「当時は不良の音楽だった」と言うのですよ。
(とても堅物な人ですが・・・生まれも育ちも東京) でもこの自伝風記事を読んでると、不良でもなんでもないごくフツウの小・中学生に受け入れられてると思うのです。
とにもかくにも、この時代の空気を吸って育った方々が、ほんとーーっにウラヤマシイです。
うっかり寝ちゃった「少年」(この部分はペーソスにあふれ、涙モノ)のその後、超々楽しみにしてま~す!(^_-)-☆
by satomi (2006-07-01 21:30) 

MASA

遼さん、TBありがとうございました。後ほどこちらからもTBさせていただきます。
いや、そうですかー。当時はテレビで武道館コンサート観られなかったんですね。熊本では7/2の夕方4時からの放送だったんですか。学校があれば下手すると見られない時間帯ですもんよね。残念なオチですね^^。

ご両親ともに音楽好きっていうのが羨ましいです。私の親なんか揃いも揃って音楽には全く疎く、家族みんなで観たビートルズの来日公演の中継も私も含めビートルズをそんなによく知らないまま興味本位で観ていただけです^^。

「ペーパーバック・ライター」は来日前後にラジオで数回耳にしていたんですが、ガキだったので遼さんみたいな衝撃は特に受けませんでしたね。でもコーラスで始まるイントロが今まで聴いたことがないとっても不思議なものに聴こえたことはハッキリ憶えてます。この曲は武道館公演でも演奏されたのに全く気が付かずにテレビを観ていた私でした(笑)。子供の耳にはラジオで聴くスタジオ録音のレコードとライブでのナマ演奏ではけっこう違って聴こえたせいでしょうね。
by MASA (2006-07-01 21:44) 

Reiko

遼さん、こんばんは〜

トラバありがとうございました。
わたしもトラバさせていただきました。

貴重なお話を伺えて、うれしいです。ありがとうございます。

ビートルズの名前くらいしかしらないわたしは、小学生でした。

そう、ブログ1周年だったんですね。
ほんと遅くなってすいません、こちらにコメントさせてくださいね。
おめでとうございます。
これからも楽しみにしています。
いつも、充実した記事ばかりで圧倒しています。
by Reiko (2006-07-01 22:21) 

氷春友

こんばんは!
この記事がアップされるのを待っていました。
ところで彼らが来日した時
関東地方の気温ってどうだったのでしょうか?
ステージ衣装を見ると
けっこうしっかりしたものを着ているような気がするんですが、
嵐の後の梅雨時の関東…
照明が当たるステージって
イングランド人の彼らにはけっこうきつかったのかな~?
なんて思ったりもします。
当時の武道館はエアコンがきいていたのでしょうか????
昨日武道館の前まで歩いていた時
ふとそんなことを思いました。
by 氷春友 (2006-07-01 22:37) 

だー

遼さん、お久しぶりです。

私も最近は公私ともに忙しかったのでブログを拝見出来ずにいました。

40年前の今頃はビートルズ旋風の真っ只中だったことかと思います。
その頃はまだ私は影もかたちも存在しませんでした。
その20年後の「ビートルズ・フォーセール」の英国発売日に誕生しました。(って関係ない話でスミマセン・・・)

話に登場した40年前のその少年はビートルズの来日に心を躍らせていたのがすごくリアルに伝わってきます。
私もビートルズが大好きなので、40年後のその少年にお会いしてビートルズの事などでいろいろ語り逢いたいと思いました。

最後にその少年に一言「今でもビートルズが大好きですか」?
by だー (2006-07-01 23:23) 

milk_tea

この時、私はまだ哺乳瓶でミルク飲んでました。
なので全く知りません。3歳にでもなっていたら、その盛り上がりのムードくらいは
記憶があったかもしれないのに残念だ。
この前、アメリカ出張帰りの友達が、ビートルズの「Around the World」という
DVDを買ってきてくれたのですが、色々なライブ映像が入っていて、最後に日本
公演の模様が入っています。なので比較論的にわかったのですが、彼らは
日本公演ではもうかなり前向きな気持ちを失っているのですね。イヤイヤやって
いる空気がどうしても匂い立っています。他のライブと直接比べて見た事がなかっ
たので、知りませんでした。何となく衝撃を受けました。日本中が無邪気に
ビートルズビートルズとオリンピックと同じくらいに騒いでいたのに、当の彼らは
「あーもう、世界ツアーなんてヤだ。やめてぇ・・」って心境にあったわけで、その
両者の温度差が今さらながら感慨深かったです。
しかし、あと30~40年もすると「ビートルズ来日を語る生き証人」とかいって、parlo
さん、戦争の生き残りみたいに珍重されだすかも(笑)
でもバス乗り越して、見てないんですね。じゃ無理だ(笑)
by milk_tea (2006-07-01 23:35) 

parlophone

てらださん、どうもです。

>リリ-・フランキー(←またまた名前、違ってました?)

今回はばっちりです v (^o^

>当時の少年の様子が目の前に浮かんでくるような素晴しいお話
>本当にこれを読んでいる皆さんも
>40年前にタイムスリップしたように感じているのではないでしょうか?

もしそうだとしたら、記事をUPした甲斐があったというものです。
ほんとうにありがとうございました。

>また、私のサイトでは私自身の当時の感想をなるべく書くようにしているのですが

ぼくもてらださんのサイトに載せられる思い出の話は興味深いことが多くてとても楽しみです。
ビートルズを体験した時代はまったく違っても、それぞれの人生と深く結び合っているところがすごいですよね。

今後ともよろしくお願いいたします。
by parlophone (2006-07-01 23:56) 

parlophone

tamachiさん、ありがとうございます。

そうですか~。
小学校2年生というと4つしか違わないけど、小学校の4つはまったく違いますからね~。

でもTVの記憶が鮮明に残ってるというのはすごいです。
それほどの社会現象だったわけですね!

>また機会がありましたら、このようなお話を聞かせください。

ありがとうございます。
赤盤の話はとうとう書けませんでした。
ごめんなさい^^;
by parlophone (2006-07-02 00:04) 

parlophone

satomiさん、さっそくありがとうございます^^

>お父様は『空耳』のセンスも持ってらっしゃるし!

そうなんですよ。
いつかsatomiさんに紹介していただいた『空耳アワー』のサイトでチェックしてみたら同じような作品が載ってましたね…。

>「ビートルズが流行った当時、ファンだった層は不良だった」ってのは、>あれは事実ではないですか?

ぼくが住んでたのは熊本ですからね~。
東京ではビートルズのファンは間違いなく不良でも、熊本ではみんな畑耕してましたから…。

ごめんなさい、ウソです!!

少なくともぼくの周りではごくふつうの小中学生でしたね。
しかも圧倒的に女子です。
今のジャニーズ系みたいなものですね。

当時も今も世田谷に住んでいる1コ上の従兄がいますから、今度聞いてみましょう。

>うっかり寝ちゃった「少年」のその後、超々楽しみにしてま~す!(^_-)-☆

ありがとうございます。
なるべく時間を擱かずにUPしたいと思います。
by parlophone (2006-07-02 00:11) 

chitlin

遼さん、こんばんは!

これまたリアルで貴重な体験談ですね。結果としては大変残念でしょうけれど、見たことも聞いたこともないはずの情景が目に浮かぶようでしたよ。
by chitlin (2006-07-02 00:13) 

parlophone

MASAさん、どうもです。

>家族みんなで観たビートルズの来日公演の中継も私も含め
>ビートルズをそんなによく知らないまま興味本位で観ていただけです^^。

でも逆にそんな事実が、当時の日本中を巻き込んだビートルズ旋風のものすごさを物語ってますよね~。

>でもコーラスで始まるイントロが今まで聴いたことがない
>とっても不思議なものに聴こえたことはハッキリ憶えてます。

いやあ、MASAさんの感性のほうがずっとすごいと思うな。
そんなこと感じたこともありませんでしたよ。
by parlophone (2006-07-02 00:14) 

parlophone

Reikoさん、トラバ&コメントありがとうございます!

>貴重なお話を伺えて、うれしいです。ありがとうございます。
>ビートルズの名前くらいしかしらないわたしは、小学生でした。

ということはTamachiさんと同級生ぐらいですかね~。

>そう、ブログ1周年だったんですね。
>おめでとうございます。

ありがとうございます。
これからもあまり頑張らずに頑張りたい(←意味不明^^;)と思いますので、なにとぞよろしくお願いいたします。
by parlophone (2006-07-02 00:19) 

parlophone

氷さん、どうもです。

武道館の記事拝見しました!
面白かったですよ~~。

あんな場所にあったんですね。
ふるさとにある熊本城を思い出してしまいました。

>嵐の後の梅雨時の関東…
>照明が当たるステージって
>イングランド人の彼らにはけっこうきつかったのかな~?

当時の映像を見ても意外にクール(別の意味で)ですよね^^
ほんとだ~。
不思議ですね…。
by parlophone (2006-07-02 00:22) 

parlophone

だーさん、どうもです。

>その20年後の「ビートルズ・フォーセール」の英国発売日に誕生しました。

おお!
それってすごいじゃないですか^^

>私もビートルズが大好きなので、40年後のその少年にお会いして
>ビートルズの事などでいろいろ語り逢いたいと思いました。
>最後にその少年に一言「今でもビートルズが大好きですか」?

大好きですよ~~^^
いつかそんなことが実現できたらいいですね!
by parlophone (2006-07-02 00:25) 

parlophone

milkちゃん、いつもありがとうございます。

>彼らは日本公演ではもうかなり前向きな気持ちを失っているのですね。
>イヤイヤやっている空気がどうしても匂い立っています。

そうですね。
あまりの人気のすさまじさにどこの国に行っても軟禁状態、お決まりのように繰り返されるマスコミの意味不明なインタヴュー、さらにはジョンの「キリスト発言」以来、身の危険も感じるようになり、4人はだんだんコンサートに消極的になります。
加えて、時間を気にせずにスタジオに籠もって音楽的な冒険を試みるようになると、貧弱な機材とPAのせいでろくに自分たちの音楽がファンには届かないコンサートというものの限界も感じるようになっていたのでしょう。
じっさいもうすでに完成していた『REVOLVER』からは1曲も演奏されませんでしたからね。

日本公演のあとのフィリピンでもマスコミから非難の集中砲火を浴びて、約2か月後、8月29日のキャンドルスティック・パークのライヴを最後に、ビートルズは人前から姿を消します。
来日公演はそういう意味では奇跡のライヴだといってもいいでしょうね。

でも、そういった先入観からこのときのライヴを見ると、しきりにファンに手を振るジョージをはじめ、意外に楽しそうに演奏しているメンバーの顔を見てほっとする感じもあります。

>parloさん、戦争の生き残りみたいに珍重されだすかも(笑)

く~、ここぞとばかり年の差を利用してますね…(笑。
by parlophone (2006-07-02 00:41) 

parlophone

chitlinさん、いつもありがとうございます。

>見たことも聞いたこともないはずの情景が目に浮かぶようでしたよ。

そう言っていただけるとうれしいです。
今やビートルズの来日を覚えている人たちは団塊の世代の人々を中心に社会の第一線から退いていく時代ですからね~。
by parlophone (2006-07-02 00:43) 

Refugee

う~ん、いいですねぇ。
リリー・フランキーは読んだことないので霞んでしまうかどうかわかりませんが(笑)、当時の空気とノスタルジックな切なさとがブレンドされて、なんだか小説を読むような感じでした。
ビートルズ来日に騒ぐ日本の、熊本の片隅ではじまった少年の物語。不定期連載でいいので、是非、この調子で遼さんの人生全部を綴ってください~
初恋の話なんかにもビートルズがからんできそう(^^)
by Refugee (2006-07-02 12:56) 

parlophone

Refugeeさん、どもどもです。

>不定期連載でいいので、是非、この調子で遼さんの人生全部を綴ってください~

相変わらずRefugeeさん、褒めかたうまいなあ~。
思わず吹き出してしまいましたが、全人生はちょっとムリかな(笑。
だって、そんなもん読む人いませんよ。
でもBEATLESとかかわりのあるところだけでも書いていきたいと思います^^

>初恋の話なんかにもビートルズがからんできそう(^^)

そ、それはどうかなあ…(笑。
by parlophone (2006-07-02 14:34) 

NO NAME

遼さん、ひとつの疑問が解けました!
「ビートルズは不良の音楽」という戯言は、未知な音楽に対する大人たちの偏見だった。
熊本の1つの小学校でもクラスの中に4、5人のファンが!全国規模では・・・?
当時、日本は不良で溢れているってことになります。そんなわけないですよね。
ビートルズファンは、立派な大人になっていると思いますよ。遼さんが良い例だ。
で、ストーンズファンの小学生はいたのか?
疑問が、ひとつ増えました。

>運動場で三角ベースに熱中したりしているのだった。
小中学生時代、昼休みは決まって三角ベースだったので懐かしいです。もしも、遼さんの同級生だったら三角ベース派で運動場でしょう。
火の国男子は三角ベース好きですね。

ビートルズ来日をめぐる小学生の奮闘記、カワイクて素敵でした。part 2を楽しみにしてます。 

森山加代子は、「白い蝶のサンバ」がリアルタイムでよく憶えています。出だしは歌えます。
「月影のナポリ」は、かなりレアなシングル盤ですよね。
今でも、日本のカバーポップス時代の歌手を聴かれるのですか?
by NO NAME (2006-07-02 15:13) 

nicodemaro

遼さん、すいません。
上記の名無しは、nicodemaroです。
by nicodemaro (2006-07-02 15:23) 

parlophone

nicodemaroさん、こんにちは~。

>「ビートルズは不良の音楽」という戯言は、未知な音楽に対する大人たちの偏見だった。

そうですね。
たとえばうちの父は65年ごろバーズの「ターン・ターン・ターン」のシングル盤を買ってきたり、母はストーンズの初期のアルバム『12×5』を好きだ、なんて言ってましたから、もともとポピュラー・ミュージックに親しんでいた大人たちにとっては、ビートルズをはじめとするロック・ミュージックは意外と浸透が早かったのではないでしょうか。

そういえば、家族4人で映画を見に行ったはいいものの、とくにこれといった作品が上映されていなくて、仕方なしにプレスリーの『ブルー・ハワイ』を見たことがありましたが、家に帰って父と母が「まさかぼくたちがプレスリーを見るようになるとはね」と苦笑していたのを思い出しました。

>ビートルズ来日をめぐる小学生の奮闘記、カワイクて素敵でした。
>part 2を楽しみにしてます。

ありがとうございます^^

>森山加代子は、「白い蝶のサンバ」がリアルタイムでよく憶えています。

60年代にポップスのカヴァーで活躍した女性歌手たちは、その後みんな
弘田三枝子→「人形の家」
森山加代子→「白い蝶のサンバ」
伊東ゆかり→「小指の思い出」
いしだあゆみ→「ブルーライト・ヨコハマ」
というように大人の路線へ転進していきますね。

>今でも、日本のカバーポップス時代の歌手を聴かれるのですか?

いやあ、今は聞きませんね~。
竹内まりやのカヴァー集もとうとう買いませんでした…。
by parlophone (2006-07-02 17:18) 

黎

遼さん、遅くなりましたm(_ _)m
記事拝見しました。当時の思い出を「少年」という表現で書かれているのが印象的でした^^
日本公演の映像はご覧になれなかったのですね・・。今でも悔やまれるでしょう。

さて、私は昨日キャピトル東急に行ってきました。貴重な体験をしてきました。もう二度と訪れない、至福の時でしたね。
by (2006-07-02 19:30) 

parlophone

レイコさん、ありがとうございます。

ブログのほう拝見しましたが、すごく貴重な体験をなさったんですね。
うらやましいです。
写真も素敵でした。
こちらからもトラバさせていただきます。
by parlophone (2006-07-02 22:52) 

MORE

NHK BS2の来日記念特番で印象的だったのは泉谷しげるの発言だけでした。生放送なので過激でしたねー。さすが、日本でロッカーと呼べる数少ないアーティストの一人ですからね。
あの当時ビートルズと言わず洋楽ロックを聴いてた若者って決して多数派ではなかったと思います。
ほとんどの学校がビートルズ公演に行ったら自宅謹慎・停学などのお咎めがあると牽制していました。
我家では東京公演の中継を家族揃って夕食を食べながら見ました。
ビートルズはうるさい、と言っていた祖母が『イエスタディ』だけは良い曲だねーとぽつんと言ったことは今でも覚えています。
えーっと、今良く考えたら66年の7月ってことは私は中学一年生でした!(爆)
泉谷さんが言ってた、『ロックを聴いたらフツーの大人にはならない』というテーゼを今まで守ってきた私としては、このお言葉を聞いた瞬間にTV見ながら頷いてしまいました。(再爆)
ビートルズをノスタルジアに留めてはいけないのです。
by MORE (2006-07-03 12:58) 

parlophone

MOREさんはぼくより1つ上ですね。

>洋楽ロックを聴いてた若者って決して多数派ではなかったと思います。

そのとおりだと思います。
ただ今のように圧倒的に国内のミュージシャンしか聞かない、という状況でもなかった。
上にも書いたように、海外のポップスをカヴァーしてそれが大ヒットする時代でしたから、知らず知らずのうちに洋楽になじんでた人は今よりもずっと多かったと思います。

でも、『ロックを聴いたらフツーの大人にはならない』というテーゼは確かに生きていましたね。
よくよく考えてみると髪を伸ばすことじたいが従来の価値観をひっくり返すことであったわけですから、そういう意味では世の中に反抗する(=不良)の要素の表れだったのでしょうね^^
by parlophone (2006-07-03 23:43) 

Kenny

遼さん、素晴らしいお話興味深く読ませて頂きました。
こちらの記事に触発されて、ちょっとした記事を書きました。TBもさせて頂いたのでお暇な時にでもお読み下さい。
by Kenny (2006-07-06 00:35) 

parlophone

Kennyさん、どうも~。

>こちらの記事に触発されて、ちょっとした記事を書きました。

なんかこういうのってすごくうれしいものですね!
あとでコメントさせていただきますね^^
by parlophone (2006-07-08 22:55) 

昔の記事にお邪魔致します。

結局、観られなかったのですね・・・(涙)
自分も小学生の頃、土曜日は授業が終わると友達とのお喋りも
そこそこに、洋楽チャートのラジオを聴く為に急いで下校していました。

お歳の計算はだいたい合ってましたよ。(笑)
by (2007-07-22 20:54) 

parlophone

あるじさん、ありがとうござりまする^^

>自分も小学生の頃、土曜日は授業が終わると友達とのお喋りも
>そこそこに、洋楽チャートのラジオを聴く為に急いで下校していました

それはまたマニアックな小学生ですね!
きっと可愛いこまっしゃくれた(失礼!)小学生だったんでしょうねえ(笑。
by parlophone (2007-07-23 00:14) 

いやぁー、可愛いかったかどうかは謎ですが、パンクと洋楽好きで、
全盛期の'80'sにアイドルに興味のない小生意気なガキンチョでしたよ。(笑)

さっき書き忘れちゃったんですけど、
>ハリー・ベラフォンテの「さらばジャマイカ」
のハリー・ベラフォンテって、先日あるじがブログに書いた
『Kansas City』でマフィアのボス役だったハリーと同一人物ですかね?
「さらばジャマイカ」を知らなかったので、比較サンプルがありません・・・
by (2007-07-23 01:56) 

parlophone

>パンクと洋楽好きで

いいですね~。
いまのあるじさんの音楽の根幹は小学生のときに形成されたわけですね。
そりゃあ、小生意気なガキンチョだ(笑。

>ハリー・ベラフォンテって、先日あるじがブログに書いた
>『Kansas City』でマフィアのボス役だったハリーと同一人物ですかね?

まずまちがいないでしょう。
カリプソを世界的に有名にした大歌手です。
若いころの歌声はそれは素敵なものですよ^^
by parlophone (2007-07-23 23:19) 

根幹のみですかね、本格的には中学に上がってからですから。
でもお金がないから色々と買い始めたのは高校生から・・(笑)
きっかけの出来事(最初はブルーハーツでした)↓から、
http://blog.so-net.ne.jp/robokuma/2007-06-09-1
高校生になってからのIGGYとの運命の出会い↓、
http://blog.so-net.ne.jp/robokuma/2007-05-03-1
つい最近、西新宿のレコ屋街を懐かしく探訪した話など↓も書いてます。
http://blog.so-net.ne.jp/robokuma/2007-06-09-2
お暇な時にでも、いらしてみてください・・・・・(IGGYとの出会いは
初体験のマジレコ屋なども含めて、読んで頂きたいお話です。)

あぁ、やっぱりそうだったんですね。
映画を観て随分経ってから、いつものレコ屋のカリプソ・コーナー(ここには
あるんです・・)で彼の名前を見かけたんですよ。
〝ベラフォンテ〟って他に聞かないから覚えてたみたいで。
うーん、買っておけば良かったなぁ・・・(後悔)
by (2007-07-24 22:27) 

parlophone

あるじさん、どうもです。

あとで伺いますね~^^

ブルーハーツなどは完全に世代が違うのでBEST盤しか聴いたことがないんですが、ぼくらのバンドで「青空」をコピーしたときはすごく感動しました。
シンプルな歌詞とシンプルなメロディなのに、魂を揺さぶるような深さを持った曲だと思います。

それ以来真島と甲本はぼくにとっては「気になる存在」になりましたね。
by parlophone (2007-07-25 01:05) 

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