ブッチャー・カヴァーを巡る旅(後編) [BEATLES]
土曜日の午後で森医院は休診だったが、香坂綾乃が付き添ってくれたおかげで隠居しているという先代の院長に会うことができた。
亡くなった綾乃の祖父とは中学、高校と同窓で、今年86歳ということだったが矍鑠とした紳士だった。
本来なら患者についてしゃべることは禁じられているのだが、と言いながら「まあ、身内もおられることだし」と話をしてくれた。
「貴子ちゃんね。覚えてるよ。たしか8つぐらいだったな」
「どんな状況だったんでしょうか」
「そうだなあ、いまだったらいろいろ研究も進んでるし、もっと打つ手があったかも知れん。しかし当時は病院の施設も貧弱なもんだった。発熱がつづいて原因が分からんうちに衰弱が進んでしまってね」
「病名を突き止めたときには」
「お察しのとおり。手遅れだった…」
「お辛かったでしょう」
「小さな子どもが亡くなるのはほんとうに居たたまれないよ。親御さんの哀しみも計り知れないしな」
老医師はつい最近の出来事のように悲痛な表情を浮かべた。
「貴子さんはどんなお子さんだったんですか」
「聡明な子だったな。ただ紀子ちゃん…」
「うちの母です」と横で綾乃が笑いながら注釈を入れてくれる。
「紀子ちゃんはお転婆だったが、貴子ちゃんはおとなしくて、お父さんが買ってきたお人形なんかで遊んでる物静かな子だったなあ」
「ビートルズのイエスタデイが好きだったとか」
「ああ、そうだった。そうか、イエスタデイが流行った年だったか、貴子ちゃんが亡くなったのは」
「厳密にいうと亡くなる前の年ですね、イエスタデイが流行ったのは」
「そういえばレコードのことで香坂が悔しがってたな」
「お祖父さまが?」
香坂綾乃もはじめて聞く話らしい。
「そう。あの日焼けして元気だった香坂が、研究室で顕微鏡ばかり覗いていたぼくより先に逝くなんて、考えてもみなかったが…」
「レコードのことで悔しがってたって何です?」
「うん、あれは一周忌のときだったっけかな、香坂が話してくれたんだが。
貴子ちゃんがイエスタデイが大好きなんで、香坂はシングル盤を買ってあげたんだが、そのうちもっといろんなビートルズの曲が聴きたいと貴子ちゃんが言い出したんだな。
それで香坂はアルバムを買おうとしたんだが、当時日本で出ていた最新のアルバムは『ヘルプ!』というタイトルで、香坂はそのタイトルがあまり気に入らなかった」
「それはつまり…」
「まるで死の病の淵にいる人間が助けを求めているようなタイトルに思えたと言っていたね」
「お祖父さま」と綾乃が呟く。
「それで香坂はアメリカでもうすぐ発売されるというニュー・アルバムを友人に送ってもらうよう頼んだんだ」
「それがイエスタデイをタイトルに据えた『Yesterday And Today』だったんですね」
「貴子ちゃんは原因不明の発熱がつづいて少しずつ元気をなくしていったんだが、アメリカから届くビートルズの新しいアルバムをそれは楽しみにしていたらしい。
香坂はわざわざ2枚送ってもらって、1枚を貴子ちゃんにあげ、もう1枚は自分で勉強するつもりだったんだ」
「勉強?」
綾乃はレコードを聴くことと「勉強」がすぐには結びつかないらしい。
「ぼくもびっくりしたよ。クラシック以外は音楽じゃない、みたいなことを言ってた香坂がビートルズを聴くって言うんだからな」
「なるほど。香坂さんはビートルズのことを貴子さんと語り合いたかったんですね」
「じぶんは船にさえ乗っていれば満足だと思っていたけれども貴子が病気になって初めて、大切なものがなにか気がついたんだ、ってしみじみと言ってたな」
「まだ小学校2年生だったんですものね」
「やっとその日がやってきて、香坂は届いたばかりの厳重に梱包されたレコードをそのまんま貴子ちゃんの寝室に持っていったんだ。届いたよ!!って」
「喜んだでしょうね」
「元気のなかった貴子ちゃんの顔がその瞬間ぱっと輝いたそうだ。
ところが梱包をほどいてジャケットが見えた瞬間に手が止まってしまった」
「当時のポップ・ミュージックからは想像もできないような、一種異様なジャケットだった」
「そうなんだろうね。なんとかジャケットを見せないですまそうとしたらしいが、貴子ちゃんにしてみれば待ちに待ったビートルズのレコードだったから当然ジャケットを見たがる。
どうしてもってせがむ貴子ちゃんの顔を見てるうちに根負けして、とうとう見せちゃったんだな」
「どうなったんですか」
「泣き出したらしい」
「怖くて?」
「それもあったかも知れんが、彼女がいつも遊んでいたのと同じようなお人形が、見るも無残な形でジャケットに載ってたんだ」
「そうか…」
「けっきょくレコードを聴くことはできなかった。
それから2、3日して貴子ちゃんの病気が悪性リンパ腫だとわかって、すぐに大学病院に搬送して抗がん剤の投与を始めたんだ。ところがその抗がん剤が感染症を引き起こしてしまった」
「感染症…」
「そう。発熱性好中球減少症といって、血液中の白血球が減少して熱が出るんだが、あっという間だった。
一週間もしないうちに貴子ちゃんは容体が急変して亡くなってしまったんだ」
老院長は最後は独り言のように言った。
「それ以来、香坂はその2枚のレコードを自分の部屋に仕舞い込んで、二度と取り出さなかった」
わたしと香坂綾乃は一言も口をきけないまま彼女の家にもどった。
がらんとして蒸し暑い祖父の部屋で、彼女は冷たいアイスティーを淹れてくれながら
「この2枚のレコードにはそんな過去があったんですね」と呟いた。
「ジャケットを見たことと叔母さんが亡くなったことのあいだに直接の因果関係はないんだろうけれど、お祖父さまにはつらい想い出になったんでしょうね」
「だれがあんな写真を撮ろうって言い出したんですか」
「アイディアを出したのはカメラマンのロバート・ウィタカーという人です」
「メンバーのなかには嫌がった人もいたっておっしゃってましたよね」
「当時のビートルズのメンバーたちは延々と時間をかけて撮られるフォト・セッションに飽き飽きしてたんです。
どんなに疲れていても、どんなに悩んでいても、そしてどんなに音楽への衝動が胸のなかで渦巻いていても、レンズに向かって愛想よく笑顔を振りまかなきゃいけないんですから。
だからロバートが肉や人形をスタジオに持ち込んだとき、そのアイディアに嫌悪感を示したメンバーもいたけれど、逆に喜んだメンバーもいたんです。かれらもまだ24、5の若者でしたから」
「若かったんですね。でもどう見ても悪趣味だわ」
「かれらもまさかそのときの写真が、アメリカでニュー・アルバムのジャケットとして使われるとは考えてもみなかったんじゃないでしょうか。
ビートルズの4人に罪はないが、アメリカのレコード会社の気まぐれが、綾乃さんの叔母さんを悲しませることになってしまったんですね」
「小さな子どもにまでファンがいるビートルズだからこそ、もうちょっと考えなかったのかしら」
「ただ、アメリカではこのジャケットは回収騒ぎになったんです」
「そうだったんですか」
「けれど初回は75万枚だった、という話もあります。回収されないでそのまま売られてしまったものもけっこうあったんでしょう」
「それがお祖父さまのところに来てしまったのね」
「このオリジナルのジャケットはブッチャー・カヴァーと呼ばれて、マニアのあいだではびっくりするくらいの値段で取引されている」
「ブッチャー…。これって肉屋さんの恰好なんですか」
「え?」
「わたしはてっきり白衣を着てるのでお医者さんかと思ってました。お医者さんが解剖してる…」
「たしかにそんな風にも見えますね」
「わたしが森先生のことを思い出したのも、このジャケットを見てたからかも知れません」
「うーん、だとしたら不思議な因縁だな。あなたが思い出したおかげでこのレコードの謎が解けた」
「でも中身はどうなんですか」
「もちろん、素敵なアルバムですよ。ビートルズとしてもどんどん新しいアイディアが生まれ、それに見合うレコーディング・テクニックも進化していって、音楽的にもとても充実した時期でしたから」
「じゃあ貴子叔母さんに聴かせてあげたかったな」
「そうですね。きっと聴けば喜んだと思う」
「じゃあ、やめます」
「えっ!?」
「この2枚は大事に取っておきます」
「そうですか。わかりました。じゃあクラシックのアルバムはどうしましょう」
「え? こんな古いレコードを引き取っていただけるんですか」
「もちろん。お祖父さまが1枚1枚とても大切になさっていたことは、ジャケットからもレコード盤からも伝わってきます。きっと思いもかけない値段で川井が引き取ってくれると思いますよ」
「じゃあ、祖父が長い時間をかけて集めたレコードは、これからもたくさんの方に聴いていただけるんですね」
「まちがいないと思います」
「太刀木さん」
「はい」
「中古のレコード屋さんって素敵なお仕事なんですね」
初めて見る香坂綾乃のこころの底からうれしそうな笑顔だった。
「川井に伝えておきましょう」
わたしは翌日、ふたたび香坂邸を訪れてクラシック・レコードの選別にあたったのだが、けっきょくはそのほとんどを福岡に送ることにした。
そのあと、クルマの通らない、石畳の坂道の途中にあるその洋館から、800枚近いレコードをわたしがどうやって運び出したか、それはここには書かないことにしよう。
参考文献:『THE BEATLES アンソロジー』(2000 リットーミュージック)
中山康樹・小川隆夫『ビートルズ アメリカ盤のすべて』(2004 集英社インターナショナル)
「アピタル夜間学校から」(2014 朝日新聞)
亡くなった綾乃の祖父とは中学、高校と同窓で、今年86歳ということだったが矍鑠とした紳士だった。
本来なら患者についてしゃべることは禁じられているのだが、と言いながら「まあ、身内もおられることだし」と話をしてくれた。
「貴子ちゃんね。覚えてるよ。たしか8つぐらいだったな」
「どんな状況だったんでしょうか」
「そうだなあ、いまだったらいろいろ研究も進んでるし、もっと打つ手があったかも知れん。しかし当時は病院の施設も貧弱なもんだった。発熱がつづいて原因が分からんうちに衰弱が進んでしまってね」
「病名を突き止めたときには」
「お察しのとおり。手遅れだった…」
「お辛かったでしょう」
「小さな子どもが亡くなるのはほんとうに居たたまれないよ。親御さんの哀しみも計り知れないしな」
老医師はつい最近の出来事のように悲痛な表情を浮かべた。
「貴子さんはどんなお子さんだったんですか」
「聡明な子だったな。ただ紀子ちゃん…」
「うちの母です」と横で綾乃が笑いながら注釈を入れてくれる。
「紀子ちゃんはお転婆だったが、貴子ちゃんはおとなしくて、お父さんが買ってきたお人形なんかで遊んでる物静かな子だったなあ」
「ビートルズのイエスタデイが好きだったとか」
「ああ、そうだった。そうか、イエスタデイが流行った年だったか、貴子ちゃんが亡くなったのは」
「厳密にいうと亡くなる前の年ですね、イエスタデイが流行ったのは」
「そういえばレコードのことで香坂が悔しがってたな」
「お祖父さまが?」
香坂綾乃もはじめて聞く話らしい。
「そう。あの日焼けして元気だった香坂が、研究室で顕微鏡ばかり覗いていたぼくより先に逝くなんて、考えてもみなかったが…」
「レコードのことで悔しがってたって何です?」
「うん、あれは一周忌のときだったっけかな、香坂が話してくれたんだが。
貴子ちゃんがイエスタデイが大好きなんで、香坂はシングル盤を買ってあげたんだが、そのうちもっといろんなビートルズの曲が聴きたいと貴子ちゃんが言い出したんだな。
それで香坂はアルバムを買おうとしたんだが、当時日本で出ていた最新のアルバムは『ヘルプ!』というタイトルで、香坂はそのタイトルがあまり気に入らなかった」
「それはつまり…」
「まるで死の病の淵にいる人間が助けを求めているようなタイトルに思えたと言っていたね」
「お祖父さま」と綾乃が呟く。
「それで香坂はアメリカでもうすぐ発売されるというニュー・アルバムを友人に送ってもらうよう頼んだんだ」
「それがイエスタデイをタイトルに据えた『Yesterday And Today』だったんですね」
「貴子ちゃんは原因不明の発熱がつづいて少しずつ元気をなくしていったんだが、アメリカから届くビートルズの新しいアルバムをそれは楽しみにしていたらしい。
香坂はわざわざ2枚送ってもらって、1枚を貴子ちゃんにあげ、もう1枚は自分で勉強するつもりだったんだ」
「勉強?」
綾乃はレコードを聴くことと「勉強」がすぐには結びつかないらしい。
「ぼくもびっくりしたよ。クラシック以外は音楽じゃない、みたいなことを言ってた香坂がビートルズを聴くって言うんだからな」
「なるほど。香坂さんはビートルズのことを貴子さんと語り合いたかったんですね」
「じぶんは船にさえ乗っていれば満足だと思っていたけれども貴子が病気になって初めて、大切なものがなにか気がついたんだ、ってしみじみと言ってたな」
「まだ小学校2年生だったんですものね」
「やっとその日がやってきて、香坂は届いたばかりの厳重に梱包されたレコードをそのまんま貴子ちゃんの寝室に持っていったんだ。届いたよ!!って」
「喜んだでしょうね」
「元気のなかった貴子ちゃんの顔がその瞬間ぱっと輝いたそうだ。
ところが梱包をほどいてジャケットが見えた瞬間に手が止まってしまった」
「当時のポップ・ミュージックからは想像もできないような、一種異様なジャケットだった」
「そうなんだろうね。なんとかジャケットを見せないですまそうとしたらしいが、貴子ちゃんにしてみれば待ちに待ったビートルズのレコードだったから当然ジャケットを見たがる。
どうしてもってせがむ貴子ちゃんの顔を見てるうちに根負けして、とうとう見せちゃったんだな」
「どうなったんですか」
「泣き出したらしい」
「怖くて?」
「それもあったかも知れんが、彼女がいつも遊んでいたのと同じようなお人形が、見るも無残な形でジャケットに載ってたんだ」
「そうか…」
「けっきょくレコードを聴くことはできなかった。
それから2、3日して貴子ちゃんの病気が悪性リンパ腫だとわかって、すぐに大学病院に搬送して抗がん剤の投与を始めたんだ。ところがその抗がん剤が感染症を引き起こしてしまった」
「感染症…」
「そう。発熱性好中球減少症といって、血液中の白血球が減少して熱が出るんだが、あっという間だった。
一週間もしないうちに貴子ちゃんは容体が急変して亡くなってしまったんだ」
老院長は最後は独り言のように言った。
「それ以来、香坂はその2枚のレコードを自分の部屋に仕舞い込んで、二度と取り出さなかった」
わたしと香坂綾乃は一言も口をきけないまま彼女の家にもどった。
がらんとして蒸し暑い祖父の部屋で、彼女は冷たいアイスティーを淹れてくれながら
「この2枚のレコードにはそんな過去があったんですね」と呟いた。
「ジャケットを見たことと叔母さんが亡くなったことのあいだに直接の因果関係はないんだろうけれど、お祖父さまにはつらい想い出になったんでしょうね」
「だれがあんな写真を撮ろうって言い出したんですか」
「アイディアを出したのはカメラマンのロバート・ウィタカーという人です」
「メンバーのなかには嫌がった人もいたっておっしゃってましたよね」
「当時のビートルズのメンバーたちは延々と時間をかけて撮られるフォト・セッションに飽き飽きしてたんです。
どんなに疲れていても、どんなに悩んでいても、そしてどんなに音楽への衝動が胸のなかで渦巻いていても、レンズに向かって愛想よく笑顔を振りまかなきゃいけないんですから。
だからロバートが肉や人形をスタジオに持ち込んだとき、そのアイディアに嫌悪感を示したメンバーもいたけれど、逆に喜んだメンバーもいたんです。かれらもまだ24、5の若者でしたから」
「若かったんですね。でもどう見ても悪趣味だわ」
「かれらもまさかそのときの写真が、アメリカでニュー・アルバムのジャケットとして使われるとは考えてもみなかったんじゃないでしょうか。
ビートルズの4人に罪はないが、アメリカのレコード会社の気まぐれが、綾乃さんの叔母さんを悲しませることになってしまったんですね」
「小さな子どもにまでファンがいるビートルズだからこそ、もうちょっと考えなかったのかしら」
「ただ、アメリカではこのジャケットは回収騒ぎになったんです」
「そうだったんですか」
「けれど初回は75万枚だった、という話もあります。回収されないでそのまま売られてしまったものもけっこうあったんでしょう」
「それがお祖父さまのところに来てしまったのね」
「このオリジナルのジャケットはブッチャー・カヴァーと呼ばれて、マニアのあいだではびっくりするくらいの値段で取引されている」
「ブッチャー…。これって肉屋さんの恰好なんですか」
「え?」
「わたしはてっきり白衣を着てるのでお医者さんかと思ってました。お医者さんが解剖してる…」
「たしかにそんな風にも見えますね」
「わたしが森先生のことを思い出したのも、このジャケットを見てたからかも知れません」
「うーん、だとしたら不思議な因縁だな。あなたが思い出したおかげでこのレコードの謎が解けた」
「でも中身はどうなんですか」
「もちろん、素敵なアルバムですよ。ビートルズとしてもどんどん新しいアイディアが生まれ、それに見合うレコーディング・テクニックも進化していって、音楽的にもとても充実した時期でしたから」
「じゃあ貴子叔母さんに聴かせてあげたかったな」
「そうですね。きっと聴けば喜んだと思う」
「じゃあ、やめます」
「えっ!?」
「この2枚は大事に取っておきます」
「そうですか。わかりました。じゃあクラシックのアルバムはどうしましょう」
「え? こんな古いレコードを引き取っていただけるんですか」
「もちろん。お祖父さまが1枚1枚とても大切になさっていたことは、ジャケットからもレコード盤からも伝わってきます。きっと思いもかけない値段で川井が引き取ってくれると思いますよ」
「じゃあ、祖父が長い時間をかけて集めたレコードは、これからもたくさんの方に聴いていただけるんですね」
「まちがいないと思います」
「太刀木さん」
「はい」
「中古のレコード屋さんって素敵なお仕事なんですね」
初めて見る香坂綾乃のこころの底からうれしそうな笑顔だった。
「川井に伝えておきましょう」
わたしは翌日、ふたたび香坂邸を訪れてクラシック・レコードの選別にあたったのだが、けっきょくはそのほとんどを福岡に送ることにした。
そのあと、クルマの通らない、石畳の坂道の途中にあるその洋館から、800枚近いレコードをわたしがどうやって運び出したか、それはここには書かないことにしよう。
参考文献:『THE BEATLES アンソロジー』(2000 リットーミュージック)
中山康樹・小川隆夫『ビートルズ アメリカ盤のすべて』(2004 集英社インターナショナル)
「アピタル夜間学校から」(2014 朝日新聞)
2014-10-26 01:58
nice!(0)
コメント(10)
トラックバック(0)
素敵なお話でした(^ ^)
ブッチャーカバーから、こんな素敵な物語を想像しちゃうなんて流石です。
ボクも、時間ができたら、レコードにからめたこんな短編、書いてみたくなりました(^_−)−☆
by 想也 (2014-10-26 09:33)
面白い短編小説でした。音楽がテーマになっているようでありながら、そこに家族愛の要素を絡めるあたりは遼さんの持ち味が出ていてよかったです。これだったらもう少し長編で読みたかったような気もします。
拙もかつては文学好きでしたけど(30代まで森鴎外、井伏鱒二、太宰治、志賀直哉が愛読書でした)、ここ10年くらいは現代作家の随筆くらいしか読まなくなってしまいました。遼さんならそんな純文学の香りがするものも書けそうですね!
by 路傍の石 (2014-10-26 14:21)
こんにちわ。後編楽しみにしていたらもうアップしたんですね。早くてびっくりしてしまいました。内容も思っていたのと違う展開で興味深く読ませて頂きました。クラシックのレコードのみ処分したというお話が良かったです。当時、日本でブッチャーカバーを本当にリアルタイムで入手した人はいるのか?なんて違う興味も湧いてきてしまいました。ムッシュかまやつさんや東芝の高嶋さん等音楽関係の方が入手していたら当時のお話聞いてみたいですね。でもすぐ回収されてしまったみたいだから日本への輸出は皆無でこのお話みたいな展開しかなかったと納得してしまいました。アメリカで発売されたのもジョンのキリスト発言で燃やされてしまったのでこんな稀少盤になってしまったのでは?と要らぬ心配をしてしまいました。
by zatopec (2014-10-26 18:34)
想也さん、こんばんはー。
>ボクも、時間ができたら、レコードにからめたこんな短編、書いてみたくなりました(^_−)−☆
想也さんだったら音楽に対する造詣も深いし、なにより人に対する優しさの意味をよくご存じだから、きっと素敵な物語が書けると思います。
楽しみにしています。
ところで先ほどブログを拝見したんですが、閉鎖されるんですね。
とっても残念です。
またどこかで再開されることを祈ってます。
by parlophone (2014-10-26 23:32)
路傍さん、こんばんはー。
どうもお読みいただきありがとうございました。
>音楽がテーマになっているようでありながら、そこに家族愛の要素を絡めるあたり
構想を練ってるうちに自然とこういう感じの物語になっていきました。
>拙もかつては文学好きでしたけど
路傍さんが文学好きなのはHNからもわかりますよね。
いまの若い人には「路傍の石」という小説を知らない人が多いかもしれませんが、そこに籠められた路傍さんのお気持ちは少しはわかっているつもりです。
路傍さんのお書きになったものもぜひ読んでみたいです。
by parlophone (2014-10-26 23:37)
zatopecさん、こんばんはー。
>内容も思っていたのと違う展開で興味深く読ませて頂きました
そうでしたか。楽しんでいただけたら幸いです。
>日本でブッチャーカバーを本当にリアルタイムで入手した人はいるのか?
>なんて違う興味も湧いてきてしまいました
たしかにそうですね。
たまたまアメリカに旅行していたとか、あちらに住んでいた、とかいうのでないかぎり、入手するのはむずかしかったでしょうね。
>ジョンのキリスト発言で燃やされてしまったのでこんな稀少盤になってしまったのでは?
あのときは象徴的に『MEET THE BEATLES』を燃やした人が多かったような気がしますが、もしブッチャー・カヴァーを燃やしてしまった人がいたら、さぞかし後悔したでしょうね。
by parlophone (2014-10-26 23:42)
ご無沙汰しております。
小説版レコスケくんのようで、楽しく読ませて頂きました。ビートルズは解散後の70年代中期からの追っかけなので、リアルタイムの雰囲気は今一つ分かりませんが、小学生の女の子でもイエスタデイは興味があったんだろうなと思います。わざわざアメリカから取り寄せるのも、当時は日本盤と時間差があったからかな?色々思い巡らしますね。
by ミネちゃん (2014-10-30 12:14)
ミネちゃんさん、こんばんはー。
>小説版レコスケくんのようで、楽しく読ませて頂きました
ええっ~、なんともったいないお褒めの言葉!
ありがとうございます!
>小学生の女の子でもイエスタデイは興味があったんだろうなと思います
ぼくが初めて買ったビートルズのシングル盤が「イエスタデイ」で、そのとき中学生だったんですが、おそらく小学生でも洋楽が好きな子は聴いていたと思いますね。
当時、日本のポップスと洋楽はほとんど同じように聴かれてましたからね。
>色々思い巡らしますね
ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
by parlophone (2014-10-30 22:25)
ブッチャーカヴァーと言うと、実は手に入る機会があったんですが、ちょっと資金が足りなくて買いませんでした。
それは1979年くらいのことで、LAのキャピトルタワーの向かいにある駐車場で月一で行われていたレコードスワップミートでした。毎月通ったのですが、夕方6時ごろから始まって翌朝まで、照明が少ないので懐中電灯を持参して首と肩の間に挟んで、首をかしげながらレコードを漁る、という今考えると信じられない光景ではあります。
で、ある時、30代のお兄ちゃんがブッチャーを3~4枚売っていて、一番高いもので80ドルしませんでした。セカンドステートとか、剥がされたちょっと汚いものだと30ドルそこそこでした。でも、ほとんど誰も気にしていませんでした・・・売れたのかどうかも覚えていません。なにせ、一枚50セントでも掘り出し物が見つかったのですからね。
毎回20ドルくらい使いましたが、何十枚も買えましたから・・・
もうあんな時代は戻ってきませんね。
ブッチャーカヴァーのお話、楽しく読ませていただきました。
by MORE (2014-11-24 15:25)
MOREさん、こんばんはー。
感想をいただきありがとうございました。
>手に入る機会があったんですが、ちょっと資金が足りなくて買いませんでした
ぼくも前篇のコメントに書いたんですが、もう少しで手に入れそこねてしまったんですよね。
やはり資金不足が原因です(^^;
>LAのキャピトルタワーの向かいにある駐車場で月一で行われていたレコードスワップミート
>夕方6時ごろから始まって翌朝まで、照明が少ないので懐中電灯を持参して首と肩の間に挟んで、
>首をかしげながらレコードを漁る
おもしろいですねー。
岡田則夫さんの「蒐集奇談」にもおもしろい話が続々と出てきますが、それに勝るとも劣らないお話ですね。
>30代のお兄ちゃんがブッチャーを3~4枚売っていて、一番高いもので80ドルしませんでした
そのころの日本円の感覚としては6500円ぐらいですか?
それにしても安すぎ^^
>毎回20ドルくらい使いましたが、何十枚も買えましたから・・・
すごい、いい時代ですねー。
また面白いお話を聞かせてください。
by parlophone (2014-11-25 00:42)