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追悼 中村とうよう氏 [追悼]

ここ3年ほどは真冬にだって風邪を曳いたことがなかったのに、なぜか夏風邪に罹って先週の3連休からベッドに倒れこんでしまった。
でもこれだけは書いておかなくては、と思って書いておく。

中村とうようさんが亡くなった。

こんなことを書くとなんだか因縁話めいて本意ではないのだが、体調を崩すまえ妙にサンタナが聴きたくなって『Abraxas 天の守護神』のアナログ盤を取り出した。
そのときはけっきょく「ネシャブールのできごと」を聴いただけでそのあとがつづかなくなり、アルバムはターンテーブルのうえに載せたきりになってしまった。
きょうふと思ってアルバムのライナーを見るとやはり執筆はとうようさんだった。

ぼくが高校に入った前後のことだと思うが、当時創刊されたばかりの『ニュー・ミュージック・マガジン』を試しに買ってみたことがある。
それまで読んでいた音楽雑誌というと『ミュージック・ライフ』か『音楽専科』、あとは『新譜ジャーナル』や『GUTS』といった楽譜の載った雑誌だったから、まずそのハンディなサイズが新鮮だった。
グラヴィアが少なく硬派な記事が多いというのも珍しかったが、今になってみれば編集長のとうようさんが"若者向けのアイドル雑誌"ではなく、ほんものの音楽批評として堪えうる音楽雑誌を目指していたんだなあ、ということがわかる。
「ニュー・ミュージック」というのも、60年代が終わって70年代に入ろうとしていた当時の新しい音楽、たとえば「ニュー・ロック」や「アート・ロック」、あるいはディランからジェイムズ・テイラーやキャロル・キングへとつながっていくSSW系のニュー・ミュージックにとどまらない、中南米やアフリカなどの音楽との融合まで視野に入れた「新しい音楽」を考えていたのだろうと思う。

      nmm02.jpg
      (画像は「音楽雑誌資料室」からお借りしました)

さて、とうようさんのライナーノウツで忘れられないのが『明日に架ける橋』だ。
発売された当初、このアルバムを絶賛していたとうようさんは、その後のポール・サイモンの音楽活動にだんだん違和感を感じ始め、CDで再発されたときには、以前の原稿に加筆する形で異議を唱えていた。
どんな権威であろうと、自分がおかしいと思うものにははっきりと「おかしい」と発言する、闘う批評家の姿がそこにはあった。

新聞記事によるととうようさんの死は自殺の可能性があるという。
80を前にしてとうようさんの胸中にどんなことが去来していたか、ぼくには知りようもない。
ただ「人生どんなことが起こりうるか、ほんとうにわからない」と李徴の如くつぶやくだけだ。

こころからご冥福をお祈りいたします。
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コメント 10

MASA

ワタシも先週の3連休はカゼで寝てました。奇遇ですねえ^^。
それはそうと、とうようさん、ホントに残念でなりません。

ワタシは「ニューミュージックマガジン」を知ったのはかなり遅くて、確か'79年だったと思います。
「ミュージックライフ」みたいなミーハー雑誌と対極にある硬派でマニアックな姿勢に、初めて読んだ時はそのインパクトの大きさにヤラレましたっけ。

あの辛辣な文章から想像するに自殺するような人とは到底思えないし、一体何があったのか気になります。
合掌。


by MASA (2011-07-25 01:17) 

parlophone

そうですかー、まさかMASAさんも風邪でダウンとはねえ^^;

〉「ミュージックライフ」みたいなミーハー雑誌と対極にある硬派でマニアックな姿勢

中学生ぐらいの頃はミーハーな雑誌もいいんですが、だんだんもっと他に書くことはないんかい!みたいなツッコミ気分になりますよね(笑。

そういう意味では大人が読むに堪えうる音楽雑誌の登場はうれしかったですよね。

ほんとうに残念でなりません。

by parlophone (2011-07-26 23:40) 

MORE

あの雑誌はNew MusicのMagazineだったのでしょうか?それとも、NewなMusic Magazineだったのでしょうか?
「新しい音楽」について考えるのか、「音楽について新しく考える」のかでは意味が違いますよね。ひょっとしたら、僕たちは「ニューミュージック」に惑わされていて、本来あるべきミュージックの姿を見ていなかったのかも・・・そこんとこを中村とうようさんは追求したかったのかなあ、と今になって思ったのでした。
中村さんの意見、時々?ということもありましたが、予定調和ばかりの御用評論家とは一線を画した独自の視点には鋭いものがありました。
ご冥福をお祈りします。
by MORE (2011-07-26 23:49) 

parlophone

MOREさん、こんばんはー。

>あの雑誌はNew MusicのMagazineだったのでしょうか?
>それとも、NewなMusic Magazineだった

今まで考えてもみませんでしたが、たしかに語感からいうと"New Music"Magazinより
"New"Music Magazineのほうが近いかもしれませんね。
時代がNew RockやArt Rockの時代でしたから、当然新しい音楽について考える雑誌と思ってました。
新しい視点、どうもありがとうございます。
by parlophone (2011-07-28 03:38) 

JKPS

"New"Music Magazineです。かつてとうよう氏はNew MusicのMagazineと受取られるのが嫌でNewをはずしてMusic Magazineとした経緯があります。New Musicと称される音楽が大嫌いだったのです。とうよう氏の評論は記憶に残るものが多かった。キャプテン・ビーフハートの「美は乱調にあり」を評論した際に、ハチャメチャにやっているのが綺麗に聞こえるのではなく、音楽として純粋過ぎてそれがハチャメチャに聞こえる…という評論をしていた。ジョン・レノンをキリスト教への謝罪の為に神が奴隷貿易の基地リバプールから送り出した使者だったと語った。もうこんな音楽評論家は出現しないだろう。ご冥福を祈ります。
by JKPS (2011-07-29 13:07) 

MORE

JKPSさん、貴重なご指摘をありがとうございます。
やはりNewな音楽雑誌だったわけですね、納得。
でも、だったらあのロゴ・デザインは間違いですよね・・・
あれでは誰もがNew Musicのマガジンだと勘違いしませんか?
とうようさんの思惑はAlternative Music Magazineだったんでしょうね。でも、あの頃にはさすがにAlternativeなんて言葉は思いつかなかった?

私がひとつ記憶に残っているのは、Sonic Youthの"Daydream Nation"をこき下ろしていたことです。個人的には「すげー」と思ったアルバムなんで、どうしてこれをとうようさんが見抜けないのかと、ちょっとGeneration Gapを感じたことでした。
by MORE (2011-07-29 21:22) 

parlophone

JKPSさんMOREさん、こんばんは。
レスが遅くなって申し訳ありません。

そうですか、やはり新しい「音楽雑誌」だったわけですね。
日本語の「ニューミュージック」ということばが人々の間に定着するのは
もう少しあとのような気がしますが、いずれにしてもとうようさんの考える意味にはだれも取ってくれないような音楽界の情勢になっていったわけで
残念だったでしょうね。

by parlophone (2011-08-10 02:33) 

ryo

お久しぶりです。
なんとか大学生やっております。
最近、自殺(音楽関係に限らず)が続きますね。
とうようさんもかなりお年をめされて、ですから相当苦しかったのでしょう。
カート・コヴァーンが生きていたら・・・なんて思っちゃいます。
ロックも新しい世代を迎え、老いに老いたロッカーばかりですし・・・

それ、考えると、ストーンズって偉大だなぁ。
by ryo (2011-08-14 22:50) 

TomWan

以前から御ブログは拝読しておりましたが、初めてコメントさせていただきます。
今更ながらですが、中村とうよう氏のおくやみを申し上げます。
先月号の『ミュージック・マガジン』、山下達郎の記事に惹かれて久々に買ったのですが、最後の「とうよう’sトーク」が遺書になっていて、大変衝撃を受けました。
今月号はとうよう氏の追悼特集ですね。これから買って読みます。
by TomWan (2011-10-01 18:08) 

parlophone

ryoさん、コメントが1年後になってしまいました。
TomWanさんははじめまして、でしょうか。
いずれにしてもせっかくのコメントにお返事もせずにほんとうに申し訳ありませんでした。

人の死というものは生き残ったものにいろいろな思いを迫りますが、
とくに自殺というのは本人しかわからない理由があるにせよ、つらいですよね。
あの世で相変わらず舌鋒鋭く音楽界を批評するとうようさんを想いながら
これからもいろいろな音楽に耳を傾けたいと思います。

by parlophone (2012-07-22 19:47) 

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